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12 邁進 |
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判断の理念体現者が最初に取り組むべき徳目として『浄化』について語ってまいりました。 進んで断捨離に取り組むことによって本当に大切な選択肢だけが残ることになります。 そうしてその大切な選択肢(理想)を実現するための努力精進として次なる徳目段階『邁進』があるのです。 『邁進』の徳目は驀進ではありません。 やたらめったら持ち得る力量を試すような力自慢では無いのです。 また『邁進』の徳目は猛進でもありません。 無目的なまま場当たり主義を貫くニヒリストとも違います。 本来の『邁進』の徳目はハッキリとした理想(目標)に向かって日々着々と歩みを重ね、確実な実績(足跡)を残しながら判断力の精度を高めてゆく…。 ここにこそ徳性求道者としての真価を試されるのです。 軽はずみな言動を避けて黙々と歩む不言実行者で良いのです。 本当に自信が持てる段階に入れば有言実行者で良いのです。 大切なことは努力精進の地道な歩みを止めないことであり、目前に現れる数々の障害に対して怯まないことです。 こうした強き自信は、それまで密かに積み重ねて来た数々の徳目が、強固なベースとなって揺るがぬ支えになっているはずです。 この時点で今だに心配事(心が揺れ動く…)が多発するなら、また初心に立ち帰って基礎研鑽を積めば良いのです。 目標が高く、遥かに遠くまで行かんとする高徳者たちは、誰にも悟られない程の静かな歩みを重ねています。 見た目には一般人と何ら変わりない日々を生きているが、人知れず行われる徳積みは複数の転生を同時に生きる程の生命価値があります。 ここに於いて自己評価に囚われる自我我欲者は鳴り物入りの歩みを選び、目立ちたがりの露出狂にまでなると魂の軌道修正が難しくなります。 彼らに足りないものは主観を越えた客観視です。 つまり自己中心者は主観を外して客観的に自分が見えないので、今だ至らぬ部分に気付かないまま自己誇示するので、それを良識人たちが見たなら滑稽な姿に映るのであります。 主観を外した客観視が出来れば自己を誇大表現する恥態に気付き、今だ至らぬ徳不足を恥じて、心の内部浄化に努めるはずなのです。 そうなると普段の言動なども角が取れて柔らかくなり、雰囲気だけでも周囲を暖かく包むことになります。 徳性開発の基礎である謙虚の徳性は、自我を超越するための自助努力でありました。 判斷の徳性に於いても自我の克服は必要不可欠であり、この部分に失敗すると自分の意思でありながら意思統制が効かない自力天狗になってしまいます。 自我の的は目立ち易く、魔界の亡者たちの格好の餌食でもあり、最も狙われ易い標的になっています。 かつて多くの修行者たちが三浴を断ち、貪瞋痴をも断ち切りながらも、最後に生命線とも言える自我の的(過信・盲信・慢心)を打ち込まれ、あえなく深い地獄の底に散って行きました。 新創世記が説かれる現代であればこそ、徳性開発の重要さを誰もが実感するはずです。 これが近年になって多く問われるアセッションであり、努力精進する者たちが次元上昇を果たすのであって、努力精進なき者は取り残される運命にあります。 なぜならアセッションの中核にある理念は主体性であるからです。 |