16 判断@

 

判断の徳性を窓口にして三観指針についてお話しします。

判断の理念を体現することで無尽蔵の智恵が湧き、その智恵を使い分けることで人格としての徳性が育まれるのです。

また判断の徳性は其の侭で悟りの高低深浅を表していて、当人の心境程度が言動を通して現れてくるものであります。

しかしその悟りの程度が解らない人が居るとすれば、その人は徳性が高いがゆえに複数の環境を使い分けながらも、それぞれの環境に特化したりリセットしたりを自在に使い分ける能力があるからに他なりません。

大方の人は長らく一つの環境に属しながら、その環境色に染まって色抜き出来ない状況にあります。

稀に徳高き霊人が地上浄化のために降臨しながら、長らく地上倫理に紛れることで使命を忘却して、ミイラ取りがミイラになる事態もありましたが、高級霊たちは十分な対策を附帯して生まれ変わってまいります。

そこにも徳性の高低深浅が現れるのです。

こうした話を元にして判断の徳性を磨く場合に努めて心得るべきものがあるとするなら、単体の地場(環境や境遇)だけに特化するのではなく、複数の地場に接しながら、それぞれの違いや共通点を学んで、気持ちの切り替えが出来るような努力をしてみると言うことです。

それによって判断力は驚く程に高まり、その性質や使い分けも高度なものとなる…。

その時に少悟(局所的な悟り)や、中悟(応用の効く悟り)や、大悟(人類救済に繋がる悟り)を得る徳者も現れるでしょう。

彼らの悟りが本物であるか否かは、幾ばくかの時の流れを待たなければならないでしょうが、使い分け(環境への特化とリセット)が出来ない状態での悟りの段階は、運が良くても少悟の心境を越えられない状態であります。

そうした観点で判断の徳性を想えば、客観視の重要性も深く認識出来るはずです。

第三者に評価してもらうのは徳性求道者でも初期の間だけで、ある程度の徳性段階に至ると自分で客観視が出来るようになるため、自らの意志(主体性)で自照鏡(天の真名井…客観視的自己反省)を覗き見る習慣も育まれているはずです。

この自照鏡は謙虚の徳性を深めることでピカピカに磨いておかなければならない…。

それに失敗するなら技巧派でありながら高見の見物をするだけの批評家・評論家となって、主観を脱しきれない人差指人間に成り下がります。

人差指人間は誠に上手に他者批判をするわけですが、非難中傷するために他者を指摘する指先そのもので自分自身を指し示すことが出来ない人差し指と同じであり、ようするに自分の現状が見えない自己中心者は常に自己認識が基準であるため、環境や心境の変化に着いてゆけず、行く末は強情な偏屈者として虚しく取り残される運命にあります。

 

 

 

22 十大理念 【判断】 【継続】