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17 判断A |
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判断力を磨くと言うことは、余分な思考を切り捨てる能力をも意味しています。 大方の迷妄者が、それまで身に付けてきた思考を捨てきれずに迷うのです。 その思考が何らかの信条であったり、座右の銘であったり、宗教的な教理であったりするため、なかなか放ち難い宝石のようになっている…。 言葉(信条)そのものは正論であっても物事には段階があり、現状の力量に合わせた手法を選び取ってゆくしかありません。 その時に一旦は大切な信条を手放さなければならない場面に遭遇するのです。 これは人生途上で度々遭遇するはずです。 プライドを固辞して苦境を行くのか、プライドを捨てて地道に歩むのか、まさしく人それぞれです。 もちろん捨ててはならないプライドもあります。 それは神の子としてのプライドです。 人間は神の子であるからこそ反省もするし愛行もします。 神の子の自覚があるからこそ、謙虚な歩みを維持継続できるのです。 間違いに気付いたら素直に謝り、相手への配慮が欠けたなら心から詫びて、生身の人間として誠意を尽くせる…。 これは神の子の自覚が無ければ出せない徳性であります。 こうした真なるプライドは捨ててはならないが、大抵の人は自我というプライドを持っていて、それが自己誇示や自己満足となって、まるで重くて硬い鎧を身に付けて歩いているようなものです。 いつしか身を守る鎧に依存して、重い荷物を背負ったまま人生を歩んでいる。 生命の実相は身に付けた鎧を一つずつ捨てることで自然に輝き出してくる生命力(ひかり)です。 つまり真実の智恵は外界にあるわけではなく、魂の内部(実相世界)に源泉があり、その源泉を掘り出すことに成功すれば無尽蔵に湧き出してくる叡智であります。 そのためには日々の努力を怠らないことです。 どんなに小さな歩みでも良いので歩き続けることです。 その歩みが自然そのものになるように魂の傾向性にまで高めることです。 従って判断力は廃棄力でもあるわけで、大切な結論を導き出すために泣く泣く消去しざる負えないものも出てくるでしょう。 そこに人生の大きな転換期(ターニングポイント)が待っています。 捨てきれない心の中には執着が隠れている…。 その執着が度を越すと固着となって身を固める鎧(極度の依存心)になります。 依存心が強いと何時しか本来の自分(純粋個性)を見失ないます。 この依存心を一つずつ取り除く作業が禊払いなのです。 この禊払いは神道以前から存在したもので、古神道として定着する前から、素朴な神への信仰として生活の一部となっていたものが、歴史上では数々の編纂を経て現代的な禊払い行法になってきたのです。 真なる信仰には附帯物は必要なく、生身の身体と素直な心さえあれば、場所も時間も限定されるものではありません。 |