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25 関門 |
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継続の理念を取り戻すために必要な二つ目の徳目段階は『開門』であります。 自己限定の殻を打ち破りながら努力精進を重ねていると、徐々に魂の奥底に扉が見えてきます。 この扉は抽象的表現ではありますが、現象世界と実相世界を自ら閉ざした大扉であります。 この大扉を開くということは、古来より語り継がれた岩戸開きに該当します。 岩戸の向こう側には実相(天照大御神)が居られて、皆さんの真なる覚醒を待っておられるのです。 しかし中途半端な気持ちで岩戸を開こうとしても大扉は頑なに閉ざされたまま微動打にしないでしょう。 魂の開門には、それなりの準備と努力が必要なのです。 古事記の神話に記された天の岩戸開きには、この準備と努力が語られています。 天照大御神が岩戸の中に入られたために高天原は暗闇になった訳ですが、数多の神々は相集い神評定して対策を練ったのです。 それで思金神(オモイカネノカミ)の発案で幾つかの準備を始めたのです。 詳しくは新創世記(高天原神話編)を参考にして致だくとしても、@青和幣(あおにぎて)白和幣(しろにぎて)鏡を岩戸の前面に置いて、Aひっくり返した桶の上で天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が裸で陽気に踊り、Bそれを見て数多の神々が笑い合ったのであります。 @青は純粋な向上心であり、白は助け合いの心であり、そうした手と手を互いに握り合い助け合い自己反省をする…。 A桶は自我の容器を表していて、欲しい欲しいと欲求を募らせていた心をひっくり返して、我儘な気持ちを自ら抑え、裸(執着を絶った心)で陽気に踊った…(暗黒思想を払い除けた心で振る舞った) Bそうした和気藹々の中で明るく楽しく笑い合った(光明思想を実践した)のです。 すると岩戸の中の天照大御神は不思議に想い、岩戸を少しだけ開けて岩戸の外を覗いて見たのです。 するとそこには実相の光明(天照大御神が鏡に映っていた)が見えたので、いま少し岩戸を開いて覗き見たのであります。 その時に岩戸の外で待機していた天手力男神(アメノタジカラオノカミ)が、すかさず岩戸に手を掛けて力一杯岩戸を開けたのです。 そうして天照大御神をお迎えしたのであります。 手力男神は忍耐努力を意味しているのですが、天照大御神をお迎えした時に、高天原の神々が心から嘆願して天照大御神と共に実相を生きる想いを伝えたのです。 それによりて高天原に光明(実相)が蘇ったのであります。 罪穢れを払い除けて自己反省を重ね、神の子としての神性を実践しながら辛抱強く時期を待つ忍耐力も必要である…。 ここに於いて不平不満や愚痴などに堕している暇は無いのです。 個人的な罪過の深さによって堪え忍びの期間は様々でありますが、諦めず眈々と努力精進を積み重ねる気持ちが大切なのです。 そのような努力精進の果てにこそ、運命の扉は確かな音を立てて開かれるのであります。 |