31 沈着

 

継続の理念を体現する者が踏み締める段階として『脇役』『均整』と語ってまいりました。

この次にくる徳目段階は『沈着』であります。

この心境段階まで達した徳者は、そう簡単には魂の転落を味わうことは少ないでしょうが、外部の圧力により精神的な攻撃を受ける事があると想われます。

その代表的な事象は妬み嫉みからくる誹難中傷であり、恨み辛みからくる悪口妨害であるため、かなり強烈で粘着難解な問題に取り巻かれることがある…。

そうした時節に堪え忍ぶ精神は並大抵なものではありませんが、大きな理想の下に初志貫徹した歩みを続けるためには、何物にも揺るぎない不動心が必要になります。

不動心とは停止(動かない)ではなく、揺止(動じない)であります。

翻ってみれば古来より例えられてきた不動心は雄大な山容でありました。

山々の雄大さは寛容の徳にも通じます。

特に霊峰富士の山容は単体の霊山としての美しさまで放っています。

それは頂の高さに応じた裾野の広がりを持ち、崩れ難き角錐型は見事な景観にもなっています。

そうした霊山の安定感に憧れた修行者たちが追い求めたものが不動心でありました。

しかし本来の不動心は更に深い意義があります。

動かないのは形でありますが、動じないのは心であります。

例えば安定感のある山々は更にその根を見れば大地に繋がっていて、広大な大地は地を這う全ての生命を支えています。

更に視点を変えれば山を戴いた大地は球体(地球)に支えられて万有引力の元に帰結しています。

つまり不動心の代名詞とされた山々は地球に帰結しながら、自転(自ら回転)をして公転(太陽の周囲を廻る)する…。

そうして銀河を廻り宇宙空間を運行しているのです。

動かざる山々も大きな意識に帰結した時に停止なき生命体として何かに貢献しているのです。

宇宙意識の中軸にある大いなる理想が何であるかは計り知れないとしても、言葉に出来ない神秘な理想像を実相大神(大いなる理想の元に総ての生命を生かし育む創造神)として受け止めるなら、総ての生命がその身に体現する不動心は、揺らぎ無い神仰心(実相大神に帰結する心)であることを疑う余地は無いのであります。

個性化した人間であるからこそ、時には失敗をしたり挫折したり様々でしょうが、目先の変転に動じることなく再び歩み始めるためには、大いなる理想(神の子の自覚)を捨ててはならない…。

神の子の自覚を深めるからこそ変転流転の中でも揺らぎ無い不動心が確立され、魂は沈着浄化に向かうのであります。

船舶の錨(イカリ)を海底に沈めるが如く、感情の怒りは深い心根(生命の実相)に鎮めて、揺らぎない精神をこそ神の子の証明として体現して致だきたい…。

 

 

 

22 十大理念 【判断】 【継続】