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13 清浄 |
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探究の理念を体現した徳者たちは特に心掛けなければならないものがあります。 世の中の非常識(自我常識)を克服しても、まだ精神世界の非常識(悪常識)が襲い掛かってまいります。 この精神世界の非常識とは何であるかと言いますと、ハッキリ言ってしまえば悪霊(誘引霊)たちの障害であります。 彼ら(悪霊)は地上界に生きていた当時の悪業ゆえに地獄に落ちた霊人なのですが、なかなか反省回顧が出来ないまま何百年も何千年も地獄と迷幽界(四次元世界の低位霊層)とを彷徨い、自分の悪業を正統化するために地上世界に生きる人間を迷わせ、自分たちの世界(地獄界)のシェアを広げようとしています。 それは地上界に間違って使われている多数決による民主主義を悪用しているのです。 こうした悪波動(悪霊の障害念波)の影響は、まるでトリモチのように付き纏います。 善人の意識を歪めて仲間を増やす悪業の数々は、現代の凶悪犯罪事例を見れば一目瞭然です。 自分の感情を自らの意志でコントロール出来ない状態は、霊的人間としての自覚の欠如に他ならない…。 そこまで精神面を狂わせられるまで放置した責任は自分自身で受け止めてゆくしかないのです。 普段の生活の中に反省回顧の習慣を持つだけでも、自分の心の主権を取り戻せるはずです。 そのために必要な徳目段階として『清浄』の徳目があります。 いつも綺麗好きで部屋の清掃を怠らない人であっても、自らの心の清掃を忘却していたなら、知らず知らずの内に精神面には蛆が沸きアクが付き、その堆積物を餌とする悪霊(誘引霊)が住処として居座るのです。 そのような人間は不平不満が多くなるに従って五毒(我欲・欺瞞・愚弄・下劣・傲慢)に侵されてしまいます。 つまり自分の意志で反省回顧が出来なくなる…。 こうした悪循環を何処かで断ち切らなければならないのです。 悪循環とは言葉を変えれば悪習慣であり、普段の生活の中で本人が思ったこと行なったことの結果であり経過であります。 慣性の法則は性格にも現れてくるもので、普段からの言動を心して改めて行くしか方法は無く、お祓いや気分転換だけでは耐力(精神的忍耐力)すら無縁であります。 心の清浄化とは無心になることです。 この無心は負の心(欲得願望)を振り払うことで、そのためには今まで心の内面に居座られた利己心の魔に退去してもらうしかありません。 要するに自分の心の性質を変える(善展開)ことです。 そこに反省回顧が必要になり、その後の善習慣附帯に対する努力精進が始まるのです。 ここで心掛けるものは感謝の想いです。 どんなに悪しき人間に思えても生命の実相は神の子としての魂の核心を有している…。 それを信じて信じ抜いて悪習慣の流れを善展開せしめる努力を怠らないことです。 |