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18 探究B |
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探究の徳性を高める過程に於いて、羞恥心と上手に付き合うことが大切であると語りました。 もう一つ最後に語っておかなければならないものは我欲の問題です。 この場面での我欲は間違いなく驕り高ぶりです。 人間の成長過程に於いて度々顔を覗かせる達成感は一時の途中経過である…。 この途中経過である達成感に酔い痴れてしまうなら、そこから頭を擡げるものは驕り高ぶりです。 この驕り高ぶりが我欲である証拠は、他者との対比に於ける優越感に浸る性格(傾向)にある…。 そうしてそこに正しい神仰心が存在しないことを如実に表しているのであります。 神の存在を心的把握している方々は同時に謙虚さを磨いているはずです。 自我という個性は何処まで進化発展させても所詮は個我の枠付を超えられないからで、個我としての有限者(人間)は全体総括者としての無限者(大神)を超えられない事実。 この事実を素直に受け入れなければ何処まで人格を高めても箱庭の中の猛獣でしかないのです。 正しい信仰心(神信仰)は自らの本来の小ささを自覚することから始まります。 こうした原点回帰が無いと何れ成長は止まり、実相世界からの生命力は枯渇して生き甲斐や遣り甲斐を失うでしょう。 無限生長に向かう者は自我の殻を打ち破る努力をします。 魂の素地を無限である実相そのものに無条件降伏の心境で提供するのであります。 そうした無我者の達成感は喜びと共に新たな希望となります。 この希望は大神の慈愛を代行する者としての未来を予感させるトキメキでもある。 探究者の常道には、こうしたオアシスとも言える安息地が訪れます。 この安息地に安住しないで初志貫徹する探究者こそ、真なる探究者として実相の神々は迎え入れるでしょう。 個人的な発明発見だけでは魂の真なる喜びを感じられない…。 より多くの人々を幸福に導く材料を無限供給する探究者こそ、真なる探究者として次代の人々から偉人として称えられるのです。 神の御心を我が心として生きる探究者は、やがて霊格そのものが実相世界に通ずる神格となるのであります。 徳性求道者にとって驕り高ぶりは禁物です。 優秀な智恵があり類い稀なる才覚を有していても、驕りという蓋で実相世界の出入口を塞いでしまうなら、それまで高まった自身の建造物(プライド)の高さを支えられなくなり重さに耐えられなくなります。 この意味は深い挫折感を味わった者であれば理解出来るはずです。 日々コツコツと積み重ねる努力は尊いのです。 時折り歩みを止めて振り返り、それまでの成果を確認したなら、すぐさま踵を返して歩み始める貴方であれ。 探究者の大道も永遠なる生命の旅路なのであります。 |