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27 利他 |
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最後に信念の理念を取り戻し体現した者が日々心掛けてゆく徳目は『利他』であります。 何のための信念なのか…。 これを突き詰めてゆくと『利他』になるのです。 釈尊が小乗仏教の果てに大乗仏教を説かれた理由も、個人的な悟りの境地は他者への慈愛のために行使されてこそ本物であると、釈尊ご自身が究極の悟りを開かれて信念を貫かれた証拠でもあります。 自分一人だけの人生の克服は容易くとも、不特定多数の運命の克服は強い使命感が無ければ果たせないです。 この使命感は誰かに押し付けられた強要使命ではなく、自らの意志で選択してきた使命であるがゆえに、そこには類い稀なる責任感が伴なっているのです。 人類の真なる進化発展・結び調和の為に、今の自分の個性(才能)が必要ならば、惜しまず総てを提供する覚悟は、単なる識者では行使できないものなのです。 神我一体または自他一体の下に実地で行動に移せる高徳者でなければ、我が身を捨てる(提供する)覚悟は持てないでしょう。 彼ら(高徳者)には自己評価や損得勘定に拘りがないか限りなく薄いからです。 そうした高徳者であればこそ『利他』そのものに総ての人生を懸けられるのであります。 もはや個人的な悟りの境地は過去のものとなり、自らの存在理由は神の僕(しもべ)であり、しかも誰からの強要でもない自発的な意志にて脇役的人生観を選択するのであります。 主体的に客体を生きるからこそ責任感も強くなり、その責任遂行力を深めるからこそ信念も強まるのです。 責任感の無い人間には他者への配慮も無く、行動規範が自己都合に収まりやすい事実…。 これだけを見ても人徳ありや否やは判断できるはずです。 徳性開発には段階があって、自己内部変革から個性の御霊磨きを経過しつつ、他者への無我献身へと魂は昇華されます。 『利他』という徳目はハードルが高いのですが、ここが本来の神の子としての生命の実相でもあるため、本当の自分探しをする対象(根本正体)は『利他』そのものにあるべきなのです。 それでこそ実相世界への里帰りは果たされたことになるのであります。 信念の徳性を取り戻すために『休息』『境遇』『歩調』を語り、体現した信念の徳性を更に昇華させるために『歓喜』『道標』『利他』を語りました。 いずれにしても信念を貫くためには優柔不断(行き当たりばったり)では無理な相談であり、シッカリとした人生設計を立て、自らの立ち位置と現状での力量を熟知した上で、個性に応じた歩みを敢行されますように…。 様々な考え方が共存する地上世界に於いては、心を揺るがす横槍が無数に飛び交っています。 そうした情報騒乱の中を迷わず突き進むことは至難の技であり、しかも総ての情報を網羅する知性まで要求されます。 それを想えば地道にコツコツと徳力を高めながら謙虚に実力を身に付けてゆくしかないでしょう。 貴方の理想が高く遠いのであればあるほど、静かなる情熱・静かなる勇気を旨として、着実な一歩を重ね続ける工夫と努力をされますように…。 |