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08 心学 |
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社会秩序を取り戻すために必要な第三の徳目は『心学』です。 心学とは文字通り心の学びであります。 いつの時代に於いても最も足りない学びは心の教えでした。 歴史の興隆期には数多の神々が天使となって地上に降臨されて、心の教えとなる文化を高めたわけですが、せっかくの高い文化的教材は遺物の如く扱われ、やがて顧みられることもなく御蔵入りしたものが多いようです。 さらに時の権力者が自らの主張を正統化するために、それまで残されていた文化的遺産を焼き払い闇に封じた悲しい歴史もありました。 最も悲しむべき現実は、心の教えを真摯に学ぶ社会的習慣を確立しきれていない事実です。 時折り世に立った導師たちは偉人として認められても、その教えを学ぶ側の徳性の低さゆえに、個人的な利得や願望追及に利用されがちでありました。 明治初期に福沢諭吉が『学問のすすめ』を発表して多くの文化人に支持され、一般庶民にも広く普及しましたが、軍国主義に転用されたがために正しい徳育としては広まりませんでした。 これは心の教えが満ち足りていないということと、その心の教えを正しく教導できる導師の不足、さらに心の教えを素直に学ぶ姿勢(学習慣)が気薄であるという時代背景が、永々と続いているからに他なりません。 心の教えとは何ぞや…。 恐らくココから始めなければ人々は真摯に自らの心と対話しようとしないでしょう。 片や心の教えは宗教家たちが御本人の悟りの範囲に従って伝えられてまいりましたが、その場凌ぎの救いを求める人々も多く、普及はしても本来の心の救済から逸脱しては摩訶不思議な教団として存続するがゆえに、近年に至っては宗教離れ(宗教嫌い)する人々が増えています。 しかし心の教え其のものまで否定してはならず、何時か何処かで誰かが正統な心の教えを説かなければならないのです。 そしてその心の教えを義務教育として徳育(徳性開発)に繋げなければならないのです。 社会秩序が乱れた主原因は、人類が人と人とを結ぶ大切な心を見失なったからです。 心の教えの大家に当たる方は恐らく釈尊でしょう。 釈尊は仏教を宗教や哲学ではなく生きた智恵として説かれたはずです。 それが後の世で宗教となり哲学となるのは当然の成り行きですが、それを学ぶ側の姿勢(徳育習慣)構築が疎かにされてきたのであります。 どうか社会秩序を取り戻して更に維持継続するためにも、心の教えを学ぶ器作りと、心の教えが如何に人間にとって重要な糧であるかを真摯に教えられる人を育てながら、真面目に心の教えを学ぶ機会(場所管理と時間管理)を広く社会制度の中に取り入れて致だきたい…。 世に立つリーダーは自己保身・自己優位に奔走せず、むしろ世のため人のために捨身(これは単に命を棄てろという意味あいではない…)する心掛けと一大覚悟が大切であります。 |