21 和睦

 

ここまで感謝の理念を見失なった時には懺悔の徳目を積み重ねる必要があると語りました。

そして此処からは感謝の理念を取り戻した者が更に積み重ねる徳目を語ることになります。

それが何かと言いますと『和睦』という徳目であります。

『和睦』とは何か…。

『和』して『睦』み合うとは何であるか…。

これを正確に悟る必要があります。

戦国時代に和睦を用いた武将が少なからず居たはずですが、武力(総力)の時代に力の倫理ではなく対話を用いた和睦は、お互いを同じ生身の人間だと認めるからこそ成立したのであり、進んでは神仏の前で無闇な闘いを終わらせようと、善良な心が正しく機能した証明でもあります。

正しく『和』するためには懺悔が必要であり、素直に『睦』み合うためには感謝の気持ちが必要であります。

自分の本来の姿を神の子として認められる者が、同じく相手も神の子だと認めるからこそ『和睦』は成立します。

相手を悪人だと思い込んだ者には本当の感謝は湧いてこないし、固定観念で相手の性格を決め付ける者は度量の狭さが暴露されるだけなのです。

表面に浮かぶ人間模様には善し悪しが混在して見えるために、それを見て判断する本人の色眼鏡を外さないと、正確な相手の色合いが認識出来ないということです。

だからと言って全ての悪事を放任してはならず、悪事は悪として正しく裁かれなければならない。

しかし人間の本来の実相まで否定してはならないのです。

従って改めるべき順序としては自分が先で、生命の実相を取り戻した心の瞳で相手を精査し、正しい洞察眼で分析を重ねた上で始めて相手の悪事の改心を迫る…というのが正しい順序になります。

その背景にはお互いの守護霊が対峙していて、一部始終を静かに見守っています。

本人同士が互いに相入れなくとも守護霊同志が理解し合えるように、相手の守護霊にも感謝の念を捧げるべきなのです。

感謝の理念は天国の常識であり、それは相互理解があって成されるものなのです。

この地上世界にあっても感謝の気持ちは常識であるべきで、相手の存在を肯定する想いが感謝の理念そのものであります。

そのため懺悔のフィルターを潜り抜けた真人間が和睦を臨むなら、生命の実相を極めるためにも感謝の心を維持継続しなければなりません。

ここにもまた徳性開発の重要性があり、良き習慣を身に付けることで、魂の傾向性を徐々に浄化させるのであります。

つまり『和睦』の徳目には実力の差が出るため、感謝の心にも個人差による深まりの違いが出るのです。

感謝の想いが深い者は人間としての落ち着きがあり温かみがあり、その分だけ時折り見せる叱咤激励に愛情の込められた重みを感じます。

それは表面的な事務処理を敢行する以前に、相互理解として心の世界で既に守護霊同志が和解をしているからであります。

悪を憎んで人を憎まず。

人間の本来の姿を善とするか悪とするのか、性善説とするか性悪説とするのか…。

この永らく闘われた主義主張の解答(解決策)は感謝の徳性を磨くことで正しく得られるものなのです。

運命に嘆く人よ…。

貴方に足りないものは運でもなく金銭でもなく、技量能力でもなく容姿でもなく、ただ感謝の気持ちであることを知るべきである。

感謝の心は善悪混沌の中から幸運の縁だけを呼び込む磁石でもある。

苦しい時や辛い時、哀しい時や切ない時、そうした時ほど心根を込めて、天地一切のものと和解せよ。

その上で想い付く総ての人に物に事に感謝せよ。

その時に甘露(懺悔)の法雨が不運暗雲を洗い流し、やがて暖かな陽射しが貴方にも及ぶであろう。

 

 

 

24 十大理念 【秩序】 【感謝】