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22 感謝 |
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生きるという事に苦痛が伴なうのは、大方の場合は主観に拘ることが原因であります。 意固地になると思考能力まで固まってしまい、体内の血液が凝固するように、思考が凝固して発想の自由が効かない人間になってしまいます。 こうしたことも悪習慣化すると、少々の変革では改善が望めない危険な穴場に落ち込むことになります。 人間は何処までいっても周囲の人々と関わり合って生きてゆくもので、お互いが生身の人間であることを決して忘れず、存在そのものを有り難く想えれば心の底から感謝の念が湧いてくる。 その相手の現状が善であれ悪であれ、本来の真人間をみれば皆が等しく神の子人間なのです。 根っからの悪人しか居ないなら変革の余地も無いが、性根は皆が神の子人間であります。 少しずつでも主体的に本来の実相を取り戻してほしいと願うからこそ対話が必要になります。 相手の生命の実相が神の子であると認めるがゆえに、心の底から感謝が出来るのであります。 かくして感謝の原点は人間の本来相にある…。 この原点に時折り回帰する習慣を持つこと。 これだけでも尊い命綱を身に付けることになります。 人間として最も感謝しなければならない人は両親です。 両親の存在を全否定してしまっては、それがそのまま自分の存在理由まで否定しているのと同じ意味合いになります。 両親を通して先祖代々親族縁族一切の御霊に感謝することで、現在只今の自分を通して未来永劫の子孫にまで生命の光を届けることになるのです。 経典に、一人出家すれば九族天に埋まる…と書き残されている意味合いも此処に原則があると言うことです。 感謝の理念を体現して徳性にまで高めるなら、それだけでも覚者と同じくらいの悟性を得たと言えるのです。 つまり感謝の徳性に於いても果てのない高みと深まり、終わりのない広がりと充足感がある…。 ここまでで終了という区切りが無いからこそ、本物の徳性(理念体現)であると認定されるのであります。 本物の徳性であるからこそ時間も空間も次元をも超えてゆくのです。 感謝の要素は只一つ『和解』であると語られましたが、この『和解』の本来の姿は『むすび』であります。 感謝の究極は『むすび大道』である。 総ての生命が本来の神の子として実相世界に里帰りするために、神縁(個性命と個性命)を結び合わせる使命が高徳者たちにはあるのです。 それを貴方も魂で観ずるなら迷わず『むすび大道』を生きよ。 それが神の子としての根本使命であり、貴方の魂の故郷が実相世界であることの証明にもなるであろう。 |