017 対話による誤解

 

 

同じ目的目標を目指しながら、なかなか他者との意志が合わない場合がある。

そのために話し合いを敢行して意思疎通を図る訳だが、どうしても議論が噛み合わず、議題が水に流れることもある。

対話による誤解は、思い込み(思い入れ)によって現れている。

これはつまり視点が自分にあるということ。

その視点が固定観念であればあるほど意思疎通は難しくなるはずである。

対話はお互いの感性を協調へと導くために行われるべきであり、自己主張を押し通すために行ってはならないのである。

従って最後は妥協も辞さない覚悟は必要である。

お互いの立場を想えば、譲歩も選択肢の一つであります。

いやむしろ相手への洞察力が進めば進むほど、相互理解は増してゆくはずであり、譲歩は相手への愛の想いの現れになる。

如の此く対話の中に相互理解を置くべきである。

そのためにも事前に相手を調べる努力を要するのであります。

対話に於いて誤解が多い場合は、殆んどが利己心の罠に掛かっている。

簡単に言えば自分の意思に拘りを持っていて、その拘り囚われを常に最優先するところに、協調性を欠く場面が現れてくるのである。

自由には責任が伴うが、その責任さえ他者転嫁して自論を振り撒く豪傑曲解者も存在する。

彼らには最初から妥協点が見当たらない。

妥協点の無い話し合いほど虚しいものはない。

この譲歩も妥協も見当たらない対話に時間を費やすのも勿体無い。

当面は互いの人格や性格を高める努力が要求されるでありましょう。

 

 

 

  29 黎明の風 【文化編】