019 偏見は自尊心の歪み

 

 

思い込みの正体は利己心であり偏見である。

自己の都合に最も近いものを選ぶ魂の傾向性である。

魂の傾向性であるから変化を望めば変更の余地があるのだ。

しかし心の弱さ故に自分の生命のみを守ろうとする者が居る。

彼ら彼女らは未だ魂は幼いままであります。

魂の幼い者たちは、そのまま大人になれば自尊心の権化になる。

そうした魂が幼い思考回路のまま大人になった者たちが自由を語れば、他者を顧みない自己中心(身勝手)な偏見を押し通そうとするのである。

やはりここにも自己内部統制能力としての徳性が必要になるのだ。

日本人の総意の中から徳育が失われて久しいが、徳性こそ古くて新しい大和精神である。

以心伝心(意志の疎通)があれば、あれこれと言い訳を並べる必要はないのである。

大和精神が相互にあれば心の根幹にある基礎精神も同じであるため、己の体面(体裁)に拘る必要が無い。

大和精神は日本人にとって尊い文化そのものである。

偏見が出る者は個人の幸せのみを考えている。

しかし大和精神は総意を貴び、総ての生命が同じ神の分御霊(わけみたま)であることを知っているし、行きつく先(辿り着く先)は一つであることを知っています。

同じ目的目標に向かって生きているからこそ心が通い合うのであります。

そこには偏見の余地は無いし思い込みの迷いも無い。

誰もが尊い生命を持ち、供に同時代を生きているのである。

 

 

 

  29 黎明の風 【文化編】