030 忘却の彼方に眠る真実

 

 

社会通念が乱雑になってくると集団意識は深みを忘れて、表面的な建前だけを重視して人間関係に於ける信頼は薄れてゆくことになる。

外見では解らないから本音の部分には手を加えないまま、自己反省のない心は歪んでゆくばかり。

それでもまだ本音と建前を使い分けられる間は、社会人として成り立ってはいるが、自分の感情を自分の意思で抑えきれなくなると、すでに公人としての資格を失うのである。

しかし例えどのような人であっても魂のルーツを辿れば、必ず生命の実相(神性)に至るのであります。

心が汚れたまま長い年月を経過させると、魂の傾向性は一種のリモートコントロールのように、悪しき習慣を自然に行い、恰も性悪説が正しいかのような錯覚に陥るのである。

そうならないために時折り魂の原点回帰を試みなければならない…。

自分自身の心でありながら自分の意思で操作出来ない状態は、それだけで精神異常の病状である。

魂の開放(自由)を声高に唱えるなら、それと同時に心の自己調律をも唱えなければ片手落ちであります。

車の運転操作(ハンドル捌き)が上手くても、車社会の運転ルールとマナーが悪ければ、いつか大事故を起こすトラブルメーカーになってしまう。

事故原因が自分でありながら責任転嫁ばかりする人間は、外見が社会人として大人であっても内面は子供のままである。

つまり公私の区別は心の調律を自主的に行えないと難しい問題になる。

本来の真人間は忘却の彼方に追いやられたまま、パンドラの箱の片隅で啜り泣いているのである。

 

 

 

  29 黎明の風 【文化編】