052 阿吽の心は大和魂

 

 

聖徳太子は十人の従者の話を同時に聞いて理解出来たという。

こうしたことは人間離れした神人の逸話として残されている。

はたして十人の従者から同時に話を聞き取ることは可能なのか…。

おそらく地上的(物理的)見地からは無理な道理であろうが、霊的見地に立てば可能な現象であります。

人間同志の心と心が結び合わされば、一を聞いて十を知り、十を聞いて百を知ることも不可能ではない。

なぜなら大和の心は自他一体の境地であるからであります。

自分と相手とは心の世界で霊的に繋がっている。

それはお互いの心情を理解し合い、相互の立場を解り合える心境にあることを意味している。

お互いの境遇を理解し合うなら、もう有れ此れと無駄口を重ねる必要が無くなり、お互いの進退にとって最も良き対策を事前に用意することになります。

まさに阿吽の呼吸であります。

夫がそろそろお茶を飲みたいと思っていると、そのタイミングで妻がお茶を出してくるようなものである。

また職場に於いて重要な書類が必要になった時にタイミングを合わせるかのように部下が書類を揃えてくるようなものである。

こうしたことはお互いの立場や心情を解り合わなければ配慮出来ないことであります。

しかし古来の大和精神には有り得た心使いで、本来は総ての人間が神の子だと信ずる精神性から、自然に配慮する阿吽の心が日本民族の国民性には根付いていたのであります。

 

 

 

  29 黎明の風 【文化編】