023 金銭感覚の麻痺

 

 

経済に於ける運用性の向上は、社会の中心に居るはずの人間から、時間的あるいは空間的な利便性を持たせ、より精神的な生活を送るための補佐的な役割が主であります。

それが何時しか補佐的役割の金銭が、人間の運命さえ左右しかねない立場になり、まるで人間の方が隷属的立場に立たされている…。

本来は霊性を極めることが地上人間の主たる意義でありますが、この意義を忘却すると命を繋ぐために必要な金銭を稼ぐ為だけの労働となり、高邁な理想は影を潜めて精神性(霊性)を失うのであります。

金銭に込められた価値観は人それぞれではありますが、所得に費やした時間と労力が付加価値として含まれています。

古来から時は金なりと言いますが、時間と労力を掛け合わせれば、それが現実的な金銭となるのです。

正統な時間と労力を費やした所得は、時間という本来は目に見えない時の流れを物質化させて、肉眼に見え手で触れることも出来る所得(金銭)を創み出すのです。

これも立派な物質化現象であるのです。

楽をしてお金を稼ぎたいという若者が増えてはいますが、何もせぬまま時間を浪費するなら、浪費した時間が現象化して浪費癖が現れるだけであります。

こうして見ると経済の流転は、時間の流れを如何に扱うかによって、富にも貧にも転がるものであると言うことが解ってまいります。

時に人生は暫し立ち止まり、長考が必要な時期もあるでしょう。

しかしその休息(長考)は未来を開くための準備期間であることに変わりありません。

 

 

 

31 水龍の旅 【経済編】