100 社会人としての見本

 

 

地上世界で使われている言葉は不完全であります。

言葉も心の現象化であり、発すれば言葉なりの形に治るのです。

形として残された言葉は記号(象徴)のような働きをして、後から読み取る人の魂の心境に従って意味内容が違ってまいります。

言葉は発する側よりも、読み取る側の読解力に大きく作用するのです。

ここに心の広さ狭さが如実に現れてくる。

人間の顔を観察すれば解るように顔には口が一つに対して耳は二つ付いています。

これは自分が言葉を発する倍以上は、人の言葉を聞き取りなさい…という創造主からのサインなのです。

また聞き取った言葉を心の篩に掛けて吟味した上で、相手に対する最良の言葉を発する努力を要します。

努力とは日々の些細な習慣付けである。

この努力は子供たちでも可能であり、寝たきりの病人でも可能であります。

人の言葉を正しく聞き取るには自我を外さなければならない…。

大方の自我は口から出て他者に悪影響を及ぼすが、自我が強いと人の言葉を跳ね返すため、他者の真実の想いを汲み取り難くなるのです。

そのため反発や懐疑が耳の霊的機能を退化させるのです。

言葉は意志伝達のツールであり意思疎通のルールでありながら、自我流に歪曲させて言葉を使用する人が多くなりました。

言葉の発達(大衆化)は文化の高みに繋がりますが、言葉の歪曲(自我化)は文化的素養の退化に繋がります。

人格者たちが特に気を付けている徳行は読解能力であります。

他者から発された言葉の真意が如何なるものかを読み解く作業に、徳性向上の鍵が隠されているのです。

そうなれば話を聞く姿勢も変化するはずで、良き人格者は話し手よりも聞き役に重きを置いている。

聞くという行為にも受け取り側の基本姿勢があります。

それは相手が誰であろうと(現状が何であろうと)、相手の実相(魂の本質)を本来は神の子であるとして受け入れる気持ちが無いと、目に見えない壁が読解力を鈍らせるのです。

こうしたことから人間関係に必要なものが感謝の心であるということを、人格者は周囲の見本として実践するのであります。

 

 

 

31 水龍の旅 【経済編】