033 唯物論

(魂の故郷を失った迷子)

 

現代人から魂の故郷を忘却させた最先鋒は唯物論でありました。

唯物論は真正面から霊的世界を否定して、物質世界の中のみに全ての結論を置いたのです。

この唯物論に力を与えたものは過去の記録であって、そこから知覚できるデーターの分析知である。

つまり過去の事物にレッテルを貼って、それと同様の事物が将来にも起こると分析するのです。

物質に内在する運動は生物にのみ付属する性質(エネルギー)であると…。

そのため唯物論からは事物を離れた生命観念が生じる術もなく、肉体に備わる五官の感覚以外は受け入れないのが基本姿勢である。

要するに唯物論の立場は肉眼で見て肉耳で聞き、肉鼻で匂いを嗅ぎ肉口で味わい、肉体の感触で得られる現実味のみが、人間生活の全てだと結論付けるのであります。

更に唯物論では人間が物事を考えるのは脳細胞のみであるとして、心や魂や霊の存在を真っ向から否定しています。

そのため心の奥深さや複雑な魂の境涯、さらに広大な霊的世界は全て認められない論説になっています。

こうした唯物論の弊害として人間に植え付けられた害毒は刹那主義ではないでしょうか…。

肉体の死後は知覚でさえ判断出来ない(知覚する余地も無い)唯物論者であるからこそ、時間の経過は老齢化という人生苦に帰結してしまいます。

そこから当然の事ながら人生を諦めた自暴自棄人間は刹那的人生感を抱くのです。

究極に至っては、死ねば全てが終わり全てが無になる…と。

こうした人間が社会人として秩序と調和を維持して生きられるでしょうか。

投げ遣りな性格で集団での共同生活が維持できるでしょうか。

ハッキリ言って唯物論は間違っています。

物質世界の様相を解釈するだけなら今後も唯物論の生存の余地はありますが、残念ながら多分野に於いて霊性否定の材料にされている唯物論は、数多の神々から大いなる怒りを投げ掛けられています。

世紀末預言の如き天変地異は神々の怒りであり、唯物論そのものに固執する人間が考え方を改めるまで、想定外の天変地異を終息させるつもりはないようです。

 

 

 

32 未来への礎 【科学編】