038 相対論

(自我と彼我の境界線)

 

皆さんが生きる地上世界の認識方法は相対性による知恵が用いられています。

対象の事物が何であるかを知るために様々な尺度を扱っています。

目前に現れている大きさ重さ・小ささや軽さなどは、とある尺度を参考にした比較対象の誤差で判断するのです。

しかし様々な尺度がありながら人は往々にして自己尺度に拘り、自分の認識知を基準にして物事の判断を進めることが多いようです。

この自己判断が何時も正しいのであれば問題はありませんが、悲しいかな人間の知力には経験値による実力の差が出るのです。

より多くの経験値を有した者の方が未だ少ない経験値者よりも、許容範囲も受入容量も臨機応変さも柔軟に出来るのであります。

更に経験値が知識の収集家のように保持している者よりも、少ない知識量でも生きた智恵として人格に堅持している者の方が、物事に取り組む段階で応用が利くことも事実であります。

こうしたことから相対論を見直してみると、心の広さ狭さが人間としての見識に影響しますし、同時に心の深さ浅さが人格としての徳性に影響するということです。

現代人に多い相対的尺度は独善である。

独創的な自分流だと勘違いをして、結局は利己的判断(自己中心)に陥っている人間は多いのです。

そうした我流人間は基準が自分であるからこそ、自らの過ちには気付けない哀れさがあります。

人差し指は他人の指摘を上手に指し示すが、自分自身を指し示すことが出来ないのです。

相対的に物事を正しく判断するためには自己認識の殻(自我と彼我の境界線)を打ち破り、第三者としての客観視の立場で冷静に物事を見渡す必要がある。

地上で利己尺度の観点から月や太陽の動きを見ていた古い時代の科学者たちは天動説を信じていました。

しかし有能な科学者(ガリレオ)は霊性を開いていたからこそ真なる客観視で地動説こそ真実であると発表したのです。

その後に何が起こったかは歴史に残されておりますが、科学的な検証もせぬまま地動説は裁判に掛けられたのであります。

権限を有した利己的人間の哀れさが、何時の時代も民衆を盲目に押し込めていた要因でありました。

 

 

 

32 未来への礎 【科学編】