052 相対性理論

(客観視は悟性の証)

 

地上世界は俗に三次元世界と言われております。

縦横高さに広がりをもつ三次元世界には容積をもつ物質文明が栄えました。

そこには視覚で物を見て確認し、聴覚で音を聞いて確認し、臭覚で匂いを嗅いで確認し、味覚で味わって確認し、触覚で直に触れて確認しながら、物質の性質を外部観察を通して認識する世界観が主流を占めています。

この外部観察は観察者が居て初めて成り立つもので、観察者本人の経験値による認識尺度は人によって差異があっても、物体の姿形が変わらぬかぎり万人に共通の観察結果を導き出すことが出来る。

そうした意味合いから三次元世界を物質文明と言うのであります。

しかしこの物質文明の姿形が変化(動き)を始めると今までの共通認識が崩れてしまい、観察者の力量(経験値)によって物体の見え方が違ってくるのであります。

そこに相対的な認識の格差が現れるからこそ個性的な価値観の高低類別が乱立するのです。

人間関係が複雑になる理由は各々の認識(考え方)を歩み寄せ合おうとしないからで、お互いの論点を理解しようとする意識の欠如が原因になっております。

自己主張はするが聞く耳を持たない人間が増えれば、世の中は乱世に逆戻りしかねない…。

物質文明には個性化による個別分離のリスクが常に付きまとうのであります。

相対的認識が自分と他者の違いを知るためには、自分という認識尺度を用いて他者の言動を推し測ることになりますが、そこで弾き出した解答は自分の尺度に照らし合わせた解答としては真実である。

しかし他者の認識尺度から見た解答は必ずしも自分と同じ内容であるとは限らないのです。

こうした人間関係での相対性から本当の解答を得るためには、自分個人の尺度を離れた客観的視野で第三者としての正しい傍観(自意識を外した客観視)をしなければならない。

しかしこの正しい傍観者的立場に立つことは至難の技であり、自己限定の殻を打ち破るような宗教的な悟りの境地に近い心境に立たねばならないのです。

残念ながら大抵の人は客観視と言いながらも自分の個人的見解を掴んだまま論じているのが現状で、個人的見解を客観視と勘違いして語る内容は、小さな箱庭の中に論点を無理やり推し込めんとする窮屈さを誰もが感じるはずであります。

人間関係に於ける相対性には徳性段階に於ける実力の差が現れやすい部分であり、この事実は口数の多さや知識量の多さなどは殆ど意味を成さないと言うことであります。

 

 

 

32 未来への礎 【科学編】