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061 物質 |
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物質とは何か…。 物質文明とは如何なるものなのか…。 この解答を化学という特殊な世界観を窓口として此処で語ってみることにします。 地上世界で説かれてきた化学は、物質そのものが当たり前に存在するものとして受け入れられ、地上世界だけの完結した世界観のみで化学的展開は説かれてきたのであります。 しかし物質は心の投影であり、思念想念が固形化した姿が物質である。 形ある事物は総て心の影である。 かく有れと思った念が凝縮して、良くも悪くも現象化した結果が物質になるのです。 そのため物質は、かく有れという思いが無くなれば、速やかに分解消滅へと進んで行くのです。 それが物質としての自然な流れであります。 つまり地上世界での物質は常に個(全から個)に向かうのであり、個としての最小単位である分子原子へと分解して、形態を消滅させるのが物質としての自然淘汰なのです。 その自然淘汰への流れを止めるものは意識(思念想念)であり、更に分子原子を組み合わせて組成させる意識が結びの心であります。 物質だけでは建設的な組成は有り得ないのです。 そこに霊性(正しき思念想念)が働くからこそ物質文明が栄えるのです。 もっとハッキリ言うならば、初めに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき、万の物これによりて成り、これによりて成らざるは無し…と、旧約聖書に書き記されているように、言葉(思念想念)が最初にあって、その目的意識に従って必要な分子原子が集められ、意識の良し悪しに関わりなく物質化現象した姿形が物質文明を構築したのであります。 人間が物質そのものに依存すれば意識の固形化が進み、個別意識に囚われて本来の神の子としての尊厳は失われてしまいます。 個への憧れは人としての物質化であり、本来は自由自在な意識を不自由な石気(いしき)に固めてしまう愚行である。 また物質世界への依存(傾倒)は人間の転生輪廻にも悪影響を与えています。 鈍重な波動に侵された人間は、魂の故郷である霊的世界を忘却しています。 こうした姿は霊界からみれば物質ボケという一種の精神病に見えるのであります。 個人(個体)としての存在感は物質(肉体)そのものに霊性が流れてこそ感じられるものなのです。 |