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013 瞑想 |
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謙虚の徳性は雨叢雲剣の一つ目の握で、人間の基礎精神に当たると説明しました。 これは心の法則(因果の理法)から見ても当然の見解で、心に想い描いたものが形態となって現れてくるなら、現象世界に具現化するまでに想いの内容を改めることで不運を回避出来ると言うことであります。 こうした反省回顧(想いの修正)を自発的に行なう習慣が身に着けば、人生は必ず良化され光に満たされるのです。 想いは必ず成就する…。 心境の変化に伴って微妙に形態は変わってくるであろうが、全ては自己責任の下に自分に降りかかってくるのです。 その災禍を誰かに責任転嫁する人間は、まだまだ魂の幼い人間であり自己反省の出来ない我儘人間である。 つまり発想力の欠如が反省回顧を阻んでいるのです。 自分は、自分だけは失敗しない…と完璧主義を貫く愚かさは、人間関係に交差する思念想念の原因結果(心の法則)を顧みない人間の憐れな姿であります。 その傲慢(驕り高ぶり)は本人の未来に大きな障壁となって現れてくるでしょう。 その時に勢いだけで切り抜けてきた愚かさに気付けば良いが、それに気付かなければリカバリー精神の軟弱さは大きな挫折を味わい、苦境からの生還に慣れていないからこそ、長き時の中で低迷の奴隷に甘んじるしか手立てが無いのです。 人間力に必要なものは何事にも失望しない前向きな意志(プラス思考や光明思想)と、苦難困難や挫折を乗り越える為のリカバリー精神であります。 この両者がバランスよく人生に配合されれば、万事に打ち克つ強き精神が身に付くのである。 そのバランス感覚を自発的に微調整するのが人間の徳性であり、この徳性を高め深める為に日々努力精進することこそ徳性開発の正しい主旨なのです。 正しい反省回顧には瞑想力を磨かなければなりません。 自分の弱さや悪態を裁くだけで終わらずに、その後の対策や改善を導き出すところまで発想を通しておくべきであります。 古来より修験者が行なってきた瞑想は、総ての因果を超越せんがために魂修行を通して開発してきた発想力(瞑想力)でありました。 この正しい瞑想能力が雨叢雲剣の二つ目の握である調和の徳性に繋がるのであります。 |