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015 開眼 |
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調和の徳性を目指すためには、基礎精神である謙虚の徳性がバックボーンとして必要であると言うことを前項目(調和)で説明しました。 また調和の徳性に於いては未だ個性が色濃く残っていても良いとさえ語られました。 個性体としての活躍は、全体意識を大調和に導くものであれば、色濃い個性を何処までも高めて良いのです。 個性役割としての生命力を極めたいという理想は、正道として尊ばれるべき夢追いであります。 しかし個性の成長には個としての限界がある。 その限界を超越するものが次なる雨叢雲剣の三つ目の握である融和の徳性であります。 この融和の徳性は、もはや神人合一の境地である為、肉体人間としての甘えや我儘が許されなくなるのです。 霊性宇宙の運営者側に立つからには、それなりの覚悟が必要になります。 そのため融和の徳性段階に足を踏み入れる前に、その敷居を跨ぐ以前に神の子人間としても実相世界の高次元意識に対して開眼しなければならない。 地上人間としての諸生活中心の意識から、霊的人間としての生命の実相を人生の中軸に置かねばならないのです。 しかも誰かに要請されたから行なうものではなく、自発的に想起した本人主体の天命(天地の経綸の一部を担う使命役割)でなければならない。 ここに個意識から全意識への魂の昇華が有り得るのです。 この運命の大変革期には大いなる試しが幾度となく訪れます。 大方の修験者たちは艱難辛苦に耐え切れず、今来た道を引き返して行きました。 この大いなる試しには魔界の蹂躙も多く、彼ら(魔界の住人)にとって融和の徳性段階に超入した高徳者は、彼らの悪事を明るみにされ戒められる存在(死活問題)になるため、最も邪魔な存在として早々に潰しに掛かるのである。 こうした現状を知った上でも、高徳者たちは人類救済の天命を果たさんが為に、自らの意志で魂の奥底にある第二の岩戸を開くのであります。 この時に必要な精神は度重なる荒波を物ともしない平静心であり、どのような運命に立ち塞がれようと動じない不動心であり、現状では太刀打ち出来ない障壁に対しても決して諦めない不退転の境地であります。 |