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019 慈悲 |
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雨叢雲剣の五つ目の握は光明そのものになります。 光明そのものは徳性(理念)の源泉でもあり、総ての生命を生かし育む大生命そのものであります。 もはや人知を越え神智を超えて実相宇宙を永遠無限に運営する光明そのものである。 これを何々の徳性として括ることは無理があるかも知れません。 しかしそれでは言葉で説明すら出来ないので、大生命の光明を二つの言葉で仮に表現するなら慈悲と慈愛になります。 先ずは慈悲についてですが、創造主の御祖としての大御心は、総ての個生命(神の子)に対する慈悲心(親心)であります。 この慈悲心が光明と共に存在するからこそ、創造主は寛大なる大御心で総てを静観しておられるのです。 大きく真理の道を外した迷妄者であっても(たとえそれが地獄の悪魔であっても)何時かは必ず自らの意思で迷妄から脱して、主体的に改心浄化するであろうと信じて信じて信じ貫いているのです。 それが個別の人間に自由な意思を与えた大神(創造主)の慈悲心(甘露の法雨)なのであります。 地上世界で巻き起こる様々な悪事罪穢れを最も心を傷めて見守っておられるのは創造主なのです。 誰よりも深い責任を観じて人類を憂いているのは創造主なのです。 本当は総ての創造主であるからこそ、その総てを消滅させることも当然のことながら出来るのです。 実相大神(創造主)には不可能はありません。 しかし創造主は総ての世界観を容認して存在を消滅させることはしないのです。 たとえそれが心得違いをしている悪人でさえも、本来は遠いルーツを辿れば魂の一部(神の子)である。 ましてや善人に於いては一人残らず大切な分身分霊(神の子)である。 地上世界に災害や戦火が絶えず、尊い命が失われるたびに、誰よりも深く悲しみを味わっておられる方(創造主)が存在するのです。 誰よりも深い心の痛みを観じておられるのであります。 心得違いをしている迷妄者たちは自力で改心浄化しなければならない。 罪を犯した迷妄者であっても、肉体死後の生命の永遠性は保証されているのです。 こうした大生命の大御心(慈悲心)を見失っているからこそ、迷妄者は未だ迷妄から目が覚めない状態なのであります。 |