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022 唯心論 |
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唯物論に対抗するかのように派生したものが唯心論であります。 唯心論は心こそ実在するもので物質は心の影(仮存在)であると説きます。 この論理は正しい展開を見せておりますが、唯心論は唯物論に強く反発するがために現実否定に走ってしまいました。 現実に於いても魂の生長に繋がる意義はあるのです。 現象が心の影であるのなら、影を分析すれば心の状態を逆発想することも可能であるはず。 現実は現実として甘んじて受け取る気持ちが大切であります。 唯心論のみに囚われるなら、この世は虚しい世界に写ります。 しかし魂の生長に段階があるように、物質の完成度に於いても段階はあるのです。 精神世界に目を向け心主体に生きることは理想ではありますが、他者との共同生活は現象社会で展開している。 しかも様々な心境の差を受け入れながら対応しなければならない。 唯物論に対抗するための唯心論者は、唯物論を強く否定することで心の世界に逃避してしまうのであります。 そうして現象界との境目に封印をして魂の呪縛を自ら作り出している。 唯心論者こそ正しい霊性を開かなければならないのです。 実相世界と現象世界の正しい相関関係(繋がり)を悟る必要があります。 そうでなければ摩訶不思議な世界を追い求める世捨て人として忌み嫌われるだけであります。 例えば唯心論に片寄った人が自己反省をしたならどうなるでしょうか…。 自身の心の在り方を見つめることは出来るはずですが、恐らく表面的な解釈で早々と反省回顧は終了して、根本原因を見つけ出さないまま走り始めるでありましょう。 何故なら経過観察の中に現実直視が欠けているからです。 現実には自身の心の影もあるが他者の心の影もあります。 相互の心が同じステージで交錯しているならば複合的な現象が現れているはずである。 そうであるなら霊性を開いた反省回顧は多角的な視野が必要であるし、結果としての現実問題も現象として把握する必要がある。 こうしたことから唯物論と唯心論は霊性開示の下に融合させて正しい解釈を進めるべきなのです。 自分一人だけの世界観であれば唯物論でも唯心論でも自由に選択すれば良い…。 しかし社会は個性が集約した共同生活であります。 宗教観や思想哲学にも公私の区別が成されるべきである。 この公私の区別こそが人間の徳性に当たる部分であります。 |