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034 性癖習慣 |
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地上人間が霊性を閉ざす要因の中で厄介なものは悪癖の習慣であります。 悪癖とはいえ本人にとっては長い付き合いで、切っても切れない道連れとなっているはずです。 1日24時間、一年365日、最も深く馴染んできた物質文明での好習慣であるからこそ、心情的にも断ち難い悪癖となっている。 地上人間としての性質そのものを否定するものではありませんが、心も身体も奪われるような自己陶酔は何処かで断ち切って行かなければ、重い足枷となって長くズルズルと纏わり付く悪癖になるのです。 大抵の自己陶酔は現実逃避の助太刀をしていて、本人にとっては心の待避所となっている…。 一時的な避難場所として割り切るならば、時に悪癖は功を奏する場面もありえるかも知れませんが、大切なことは生活全体から見た自身の悪癖が、どの位のシェアを持っているのか…。 そうしてその悪癖の指揮命令者が誰であるのか…。 ここに大きな運命の分岐点が存在するのであります。 悪習慣が人生の全容から見て嗜む程度の時間的シェアで済んでいるのか…。 また経済的に人生の負担になってはいないか…。 そして自分の意思で行ない自らの規範で静止(指揮命令)出来るのか…。 その量も質も一定の自己基準(あるいはボーダーライン)を踏み外すものではないか…。 こうした適度な自己チェックが無ければ悪癖への堕落を誰が止めるのでしょうか。 結局は反省回顧(自己反省)が人格を形成する為の基礎研鑽であることを裏付けているのです。 悪癖が魂の傾向性として固着すると、当然の話で悪業は来世へと持ち越しになります。 地上世界で超越出来ないものは、心(精神)の世界である霊界に持って帰っても克服は難しい。 魂が悪癖によって汚れたまま帰天すれば、真理(因果の理法)は正直に当人の心模様と同じ世界に赴かせるのです。 それが地獄であれ裏側の世界であれ本人の性質に兼ね合った類似霊世界に引き寄せられて行くのであります。 それこそ自業自得(因果の理法)の成せる技である。 ここに人間としての徳性を高めることの大切さが説かれるのです。 歪みなき徳性で正しい霊性を開くことの重要さが説かれるのであります。 |