042  自我心

(我儘は自制心の欠如)

 

人間関係に於ける自我心は我儘である。

我儘とは我が思うままに生きるということで、自分の思惑中心に強引な生き方を続けることである。

高邁な理想でゴーイングマイウェイを貫くなら彼は偉人の仲間入りを果たすでありましょうが、個人の我儘を通すだけの強引愚舞上意(ゴーイングマイウェイ)では、独り善がりな変人扱いを受けるだけであります。

幼い子供は我儘を通さんが為に泣き喚いて周囲の大人たちを困らせるが、成人して社会人となっても我儘を通そうとする似非大人が増えております。

彼らは知名度や社会的地位(権力)を使って遣りたい放題…。

そこには社会人としてのモラルが感じられず、平気で道徳を破る言動は、子供心のまま大人になってしまった悔恨の念など存在の余地さえ見受けられないのです。

つまり我儘は自制心の欠如であって、忍耐力(耐え忍びの徳力)を養われないまま年齢だけ大人になった精神若輩者であります。

忍耐力は子供の頃から養うべき精神力であり、過保護の家庭では難しい徳育なのです。

単なる甘やかしは溺愛に過ぎず、この溺愛さえも自我心の歪愛(自制心のない愛情)である。

旧世紀の子供たちには学校の部活内で、先輩後輩の人間関係を通して自制心を育むことが出来たのです。

しかし行き過ぎたシゴキや、感情的なイジメが横行して、部活を通した人格形成が望み難くなり、過度の心配で精神鍛錬を悪視する風潮が社会にはありました。

個人主義が行き過ぎると団体生活が苦手な子供が増えて、社会人としての道徳を平気で無視する人間も増えるのであります。

人間関係はお互いの意思を交わし合いながら、徐々に心を寄せ合い分かり合う方向で相互努力が成されるべきである。

対話の取り掛かりから相互が我儘だけを通さんとすれば、会話は正統な話が成立しないまま、お互いの遺恨を深めることになる。

意見の相違は考慮に入れて、先ずは相手の話を受け止める(静かに聞く)ことから始めなければならない。

その話の趣旨(論点)を見い出してから本当の話し合いが始まるのであります。

会話にも自制心が必要である。

忍耐強く相手の話を聞く姿勢が無いと真っ当な会話は成立しない。

話術の高まりは聞術力と思考力の昇華した証であり、自分の我儘を言いたい放題に並び立てるだけでは話術は育まれないのです。

 

 

 

34 霊性開示 【封印打開編】