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045 克己心 |
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人間の魂を生長させるものは自我であり、それと共に魂を堕落させるものも自我であります。 個性化が進んだ現代は、悲しいかな堕落の方向に向かいつつあるのが自我の迷走である。 正しい方向で自我が磨かれたなら強い責任感が具わるのです。 責任感は自己認識の明確化で、運命を素直に受け止める潔さでもあります。 しかし魂の容量が狭いまま総てを受け止めるのは或る意味で投げ遣りであり自殺行為である。 人間は自分の現状に応じた責任しか果たせないのです。 つまり自分自身の魂の器(容量)を拡張することが徳性開発でもある。 器(人徳)を育む時に何時も足枷となるものが欲得願望であります。 魂の生長を阻害するものは自我に蔓延る欲求である。 この自我欲が魂の生長を有耶無耶にする汚濁であるのです。 自我欲は其のまま人間関係にも悪影響を及ぼしている。 社会の秩序を崩し、調和を乱すものが個人的な自我欲である。 この自我欲に打ち克つ心が克己心であります。 己の我儘(心の甘さ)を克服する強き意志を持続しなければならない。 一度や二度の克服は誰にでも出来るでしょうが、持続(常勝)することは難しい現実であります。 持続には高度な徳性が必要で、偶然ではなく必然の持続になるまでには継続的な努力精進が望まれます。 社会人としての仕事には週休二日の制度もありますが、徳育には休日はありません。 一日二日だけだと思って努力精進を怠れば、その一日分を取り戻すのに一週間や十日は掛かると覚悟しなければならないのです。 良い習慣(努力精進)が魂の傾向性にまで高まり、人徳としての基礎精神が構築されたなら、少々の波風では動じない強い精神が具わっている。 そこまで徳性を高めれば魂の転落とは縁遠くなります。 こうした高度な徳性を育むために高徳者たちは常日頃から克己心を心の友として同行させるのです。 己の甘えに強くなりたい…と、切実な思いを持続して生きた証でもあるのです。 千里の道も一歩から。 無理して大股で歩いて息切れするよりも、努めて小股で歩を重ねる貴方であれ。 どんなに小さな努力でも続ける意志さえ失わなければ、貴方の意識(可能性)は宇宙大(無限大)にまで繋がっているのであります。 |