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057 寛容 |
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人間が地上世界で生きる権利は万民平等です。 これは国籍や肌色に関わらず、年齢や性別に関わらず、血液型や健康病弱に関わりなく、地上に生を受けた時点で万民に平等な人権であります。 この平等意識は社会を調和に導く基本的人権である。 しかし此処から先は個人的な努力裁量が新価値として評価されなければならない。 その評価は人格的高揚(徳性)が主軸であるべきなのです。 自分のために刻苦勉励する者と社会のために努力精進する者は、同じ土俵(天秤)で識別評価するものではないのです。 もちろん何方も大切な学びであり努めであるが、私的なアプローチと公的なアプローチは根本的な意味内容が違うのであります。 社会人として公私の区別が付かない者は、年齢的に成人(大人)になっても魂的には未だ未成年(子供)である。 こうした社会人としての公私の区別が見失われた時代は大混乱が起こります。 歴史上の乱世には正しい公私の区別がありません。 乱世では総ての人間の命を尊ぶ概念が薄まり、我田引水(我欲優先)の為には他人からの略奪も殺戮も横行するのです。 これは私的意識のまま社会を組織化した成れの果てである。 この私的意識には他者に対する配慮(想い遣り)が薄いのです。 利己心は自分造りには役立つが、公的意識に目覚める為には公私の区別が必要である。 この公私の区別は徳性を開発することによって育まれる人徳であります。 私的意識のみでは利己心が強くなるばかりで、他者への寛容な精神は育ち難いのです。 利己心での寛容は常に自己都合(損得感情)に支配されているため、本人の感情起伏に左右されるのです。 従って私的寛容では自己限定の殻を破れないのである。 そこに他者との比較が始まり欲得願望が絡まって、あくなき競争意識(勝ち負け)に拘るようになるのです。 自己限定の殻を破れなければ公人としての大成は有り得ません。 これは小さな社会にあっても同じことで、利己心のままでは他者に対して寛容には成れないのです。 この寛容そのものを見るだけでも未だに私的人間(利己的意識)のままか、公的人間(利他的意識)が具わっているかが判断出来るのであります。 |