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060 謙譲 |
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子供たちがプールで無邪気に遊んでいる。 ビーチボールを空へと投げて高さを競い合っている。 腕力に自信のある子供はビーチボールを空高く投げ飛ばすことが出来るが、ビーチボールは直ぐさま落下して、水上で跳ねて思わぬ方向に飛んで行くのである。 ビーチボールの中には空気が入っているだけである。 このビーチボールを一人の子供が故意に水中に沈ませた。 するとビーチボールは浮力を発揮して水中から水上に飛び出した。 その子供は面白がって更に水中深くビーチボールを沈ませて放ってみると、ビーチボールはより高く水中から空高く飛び上がった。 これは子供たちの遊びの何気無い一コマではあるが、此処に浮上の原理が隠されている。 力任せに自力のみに頼っていた子供は既に力量には溺れているのである。 しかもビーチボール(利己心)は欲得願望に膨れ上がり、落下後の制御も効かない状態である。 そのビーチボール(利己心)は水中に潜り込むこともなく水面に落ちて漂うだけであります。 方やビーチボールを水中に潜り込ませた子供は水力(他力)に頼ったのである。 水中深く潜り込ませたビーチボール(利己心)は自ずと水圧(人望)に押し上げられて浮上するのであります。 腰を低く頭を垂れて謙虚さを保ちながら水中(社会)に身を挺した慎ましさは、やがて人々から賞賛され協力者が自然と現れ、世の中の総意(希望)として推挙されるのです。 このような謙譲の美徳が現代社会には廃れた感があります。 身を慎ましく社会に挺した心掛け(利己心)は、そのまま利他心に変化生長を遂げて人望も人徳も育まれて行くのです。 これが本来の正しい浮上の原理なのです。 闇雲に自力を誇って高みを目指す若者が多いけれども、一社会人としての人的モラルや公的ルールを無視してはならない。 人として為すべき事を踏まえた上で理想実現に突き進むべきであります。 子供のままの精神(利己心)では社会の荒波に弾かれるだけなのです。 利己心は利他心へと生長させて、人間としても懐の深い大人物に育つべきである。 小手先の道具(小技)に頼ることなく、地道に磨かれた人間力でこそ真正面から勝負するべきであります。 |