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068 生死 |
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今一つ人間の大きな恐怖心として生死の問題があります。 如何に生きるかということ、徐々に老いるということ、病にかかるということ、何時かは死ぬということ…。 生老病死は暮らしの中での苦しみであり人生の不安や恐怖であります。 とくに生死の問題は年齢が高まるごとに表面化してくる恐怖心ではないでしょうか。 この世の終わりが全ての終わりだという刹那的人生観を抱いている人は、先の見えない大きな不安に苛まれながら、徐々に迫り来る終末に生き甲斐も遣り甲斐も消滅して行くのでしょう。 しかし人間の生命は永遠に生き通しであり、肉体生命の死後は霊界にて魂の人生は継続して行くのです。 大半の人が肉体死後の霊界では、地上世界で行っていた仕事を霊人としても続けている。 お互いの名前も生前と同じ名前で呼び合い、魂の心境が同じぐらいの人々と仲良く生きております。 もちろん生前の行いに問題があって魂の穢れが多い人は、同じような心境の迷妄霊たちと霊界では生活を共にしております。 また魂の高まった模範生たちは肉体死後の霊界では神々の世界に帰天して、専門分野や得意科目などを更に生かしながら人類の魂の救済を天職として続けて行くのであります。 まだまだ霊界には多岐に渡る霊世界があり、魂の境遇が同じような霊人同志が自然と集まって仲良く暮らしているのです。 こうした霊界の真相を知らないまま地上世界で生きている人間は、此の世限りの刹那人間となりがちで、迫り来る終末思想に魂は圧迫されて、ジワジワと染み出す言葉にならない恐怖に心が痛むのである。 そのため悪魔に魂を売った何でもありの危険人物に成りつつあるのです。 このように肉体死後も霊的個性には続きがあるのです。 来世に繋がる魂の連鎖が存在するからこそ、心の法則(因果の理法)は人間真理として的を突いた魂の絆に成るのであります。 こうした観点から生死に対する恐怖心を見渡してみると、生きるということは来世を見通した生き甲斐となり、何時かは訪れるであろう死は魂の故郷への里帰りであるということです。 そこに生死に対する不安や恐怖の入り込む隙も限りなく消滅して行くのであります。 |