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072 閉塞 |
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現代は自己限定の殻に閉じ籠ることを正統化する人が多くなりました。 感情の起伏を隠す事なく素直に表現した方が、より一層人間味があると平気で語る人も居るのです。 幼児であれば人目を気にせず喜怒哀楽を自由に表現しても愛嬌として許されても、一社会人となってまで感情的に我儘を表現するのなら、大人としての公私の区別さえままならないでありましょう。 公人は真人間としての感情を捨て去った人ではなく、TPOに即した使い分けが出来る人である。 私事では誰よりも親しく感情を表現しながら、いざ公の場所に出れば公人としての徳性(立ち居振る舞い)を自然に行使することが出来る…。 こうした公私の区別を使い分けることが出来てこそ、大人として社会人の仲間入りを果たすのであります。 この公私の区別が出来ない人間は個人的な思念の中に身を沈める人である。 その閉塞癖は自己認識の枠内に限り小さな世界観では通用しても、不特定多数の人間が集まる社会組織では居場所すら失くしてしまいます。 何故なら小さな認識による視野の狭さが、他者から見れば誠に窮屈な人間に映るからである。 自分の世界観に閉じ籠る人間は社会秩序の中で協調性に欠けるのでしょう。 野生児は野生の王国でのみ活躍が出来るのです。 稀に歴史の狭間で大活躍する風雲児は、時代が乱世であれば活躍の機会に恵まれるのです。 しかし社会が安定してコミュニティーが成熟したなら、野生児・風雲児は単なる異端児扱いされるだけであります。 やはり時代の要請は注意深く見定める必要があるのです。 小さな箱庭(個人的な世界観)から飛び出して、開かれた新文明を魂の瞳で見渡す必要がある。 その時に視野の狭さは致命傷になる場合があります。 人の数だけの真理が存在する社会の中で秩序と調和が保たれる為には、自分以外の他者の主義主張も謙虚に学ぶ姿勢が要求されるのです。 固定観念は基礎精神としての自分造りに有用して、他者との折衝時には進んで固定観念を超えて行く心構えが大切であります。 |