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078 主観 |
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それでは固定観念人間は救われないのか…という疑問が湧くが、固定観念人間であるからこそ努力精進さえすれば救われ易いのです。 分かり易い魂の傾向性は、何が間違っているかを隠しようがないほど明らかな表現をしている。 ただ彼ら(固定観念人間)はそれを認めようとしないのです。 その原因は彼らの思考回路が常に主観であると言うことなのです。 客観視が出来ない人間には自己反省が有り得ません。 主観は他者批判を上手に行うが、自らの醜態を客観的に観ることが出来ないのであります。 そのため罪悪感すら湧くことがなく、他者(特に弱者)への攻撃も容赦なく行うのです。 彼の悪態を誰も止めることが出来ないならば深刻な悪霊体質に成ってしまいます。 こうした固定観念人間には本人の悪態を客観的に証明する資料等が必要になります。 如何に社会人としての弊害が多いかを不特定多数の人が確認出来るような記録が必要になります。 例えば病院に隔離された精神病患者は、一人で公の場所に置いておくと危険であると判断されたからこそ精神病患者として隔離されたのである。 また凶悪犯罪者は社会に放置しておくと同じような凶悪犯罪を繰り返し兼ねないという理由で刑務所に入れられるのである。 精神病患者も凶悪犯罪者も物事の見方や感じ方が主観に固定しているという共通項があるのです。 そうしてそれを裏付ける資料としての診断書や調書等の経過観察記録(裏付け捜査記録)があるはずです。 こうした資料が存在することで法的措置が施される…。 これが法治国家としての悪に対する処方箋であります。 現状の世の中が民主主義社会である以上は悪の助長も数の倫理で裁くことが出来る。 悲しいかな現代人には精神病患者や凶悪犯罪者の予備軍が公共の場にも存在するはずです。 やがて彼らは悪霊の巣窟とされ、街中に放たれた猛獣の如く感情不統制人間となって暴れることになるでしょう。 まだ少しでも真人間としての心が残っている間に、客観的事実を資料等で知らしめる必要があるのです。 間違っても公私の区別が効かない我儘人間に役職を与えてはならない。 これは古い兵法にも残されているが、荒削りな人間に対する評価は高額な金銭を与えても良いが役職権限は決して与えてはならないと言うことであります。 主観視と客観視…。 この両者を使い分けることが出来なければ、衆生のリーダーとしては不向きであるのです。 |