089  不信

(隠し通したい悪癖悪心)

 

人々が霊性を無視する理由には人知れず行っている悪癖悪心への傾倒があります。

止めるに止められない悪癖は霊性を遠ざけるに値するし、泡のように沸いてくる悪心は霊性を曇らすに値します。

何方も行き過ぎれば精神の病となり、悪癖悪心の自覚が無ければ立派な迷妄者の烙印を押されるでありましょう。

自発的にボーダーラインを決めて浮き沈みしながらも悪癖悪心を改善して行く努力を要します。

自分の悪癖はまだ他人に比べれば大したこと無いと思い込むなら、その悪癖は悪業となって永遠に治らないでしょう。

心の中だけで悪心を抑えているから大丈夫だと思い込むなら、悪心は魂の傾向性となって同質の悪意を呼び込み、帰天後もまた同質の悪霊悪魔が潜む暗黒世界に魂を落として行くでしょう。

これも偽りなき心の法則(因果応報)であります。

しかし人々は悪癖悪心に放ち難い愛着が有るようで、あれこれと自分なりの理由を付けて手放さない人が誠に多いのです。

こうした人の行く末は主観に閉じ籠る閉塞的人生感である。

主観のみで生きるのであれば悪癖悪心も立派な個性となるからであります。

しかし社会の中で公人として役割を果たす場合には、主観による悪癖悪心は大きく重い足枷となる。

そのため人間は自分自身の心の中に悪癖悪心を隠し通そうとする。

それを上手く隠し通せたとしても地上世界のみであり、帰天後の霊界では魂の傾向性は其のまま霊体として現れ、隠したくても隠しようの無い状態に置かれるのです。

だから大抵の場合は心の汚れた霊人は本人の意思で地獄(魂の汚れが同質の霊人が集まる世界)に赴くのであります。

こうした堕落は一重に不信感から始まるのです。

神の子の自覚に対する不信感は、その後の人間の動向(思想言動)を窮地に貶めるのです。

現代人が不信に想わなければならないものは、常日頃から反省回顧をしないのは何故なのか…という所(不信)であります。

現在只今の自己自身の言動は主観が元なのか客観が元なのかを時折り自己チェックしなければならない。

思想哲学を深める為には主観が重宝されるけれども、一社会人として共同生活を余儀なくされる人間であるからこそ、客観的人生観を魂に宿して致だきたい。

それが徳性(霊性)を高める唯一の道であります。

 

 

 

34 霊性開示 【封印打開編】