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091 因果応報 (自由性と自己責任) |
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それでは最終章として転生輪廻の封印打開について語ることにします。 旧世紀末(20世紀)には雨後の筍のように新興宗教が乱立して、死後の世界や魂の本質を様々な見地で説かれたはずです。 しかし色々な個性ある団体が、それぞれの立場で真理を説いたために、根源的には同じ主旨の真理でありながら宗教間での争いが絶えませんでした。 そうして悲惨な共食いは地球レベルで争われ、国家間の戦争の大半は宗教戦争でありました。 そこに人間真理としての誤解が生じて、死生観や霊性観の違いが公然と一人歩きしております。 宗教に於いての真理の違いは、宗教真理を開いた教祖の人格と、その教祖を陰日向で守護指導する霊人の神格に左右されることは事実であります。 裏側世界と表側世界では主義主張は変わってきますし、実相世界の神々と幽現世界の霊人では神霊指導方法も違うと言うことです。 もともと正解は一つではなく、個性の数だけのバラエティーが有り得る訳ですが、何分目に見えない霊世界である為、盲点を悪用して自己に都合の良い真理を説く宗教も自然発生しているのです。 茸採りをしている人がキノコの知識が無いまま猛毒のキノコを採ってくるようなものなのです。 霊性の時代には見た目の美しさに隠れる猛毒を見破る真理の瞳を養わなければならない。 人間社会に必要な公人意識を麻痺させるような宗教を見破る貴方であるように…。 人間には太始から自由意思が許されています。 選択肢の多さは文化の高みかも知れませんが、その文化を多彩な色合いで主義主張するものの真なる正体を看破しなければならないのです。 自由意思には因果応報(心の法則)が付き纏います。 選択肢は多いけれど運命を受け止める覚悟で望まなければ主体性の確立は有り得なくなります。 つまり自由意思と自己責任は同意語であるということを知る必要があります。 従って慎重さと潔さも根は一つであり、何を信奉するかは個人の自由であるが、その人生選択の下に巻き起こる諸課題を責任放棄してはならない。 しかし人生を満点でクリアーする人は皆無であります。 そこは反省回顧を交えながら明日へ(又は来世へ)活かせる智恵と教訓を見い出す人生となりますように…。 |