002  孤島に監禁された囚われ者

 

執着に嵌まり込む人間の意識は、まるで孤島に監禁された囚人のようでもあります。

執着を根強くしている思いは我心(自己中心的思念)である。

他者の意見を聞き入れず、自我流の思考回路で判断して行動する。

社会人でありながら主権独権に囚われ拘る人間は、どうしても孤立する運命になります。

昔は頑固者が特異者として稀な存在でありましたが、現代は個性に嵌まり込む頑固者が街に氾濫している…。

個性化が流行りの最先端のように仕向けることで収益を得る経済人も増えてきたのです。

また自己主張を強力に押し通すことで自己実現を果たすビジネス・スタイルが持て囃されています。

個人の幸せ追求が公的な犠牲を顧みないならば、独権は危険人物を量産するだけなのです。

囚われ拘りは自己自身の心の中にあり、目に見えない鎖で本人の魂を自縄自縛しているのである。

まさに孤島の囚人であります。

自らの魂を磨き、自己限定の殻を打ち破って、魂の呪縛を解き放つ必要があるのです。

人間としての本当のスタートラインは公人として世に立った時期である。

それまでの人生は私人としての刻苦勉励のみでも許される精神の養育期間であります。

この精神の養育期間は、未だ魂は子供時代にあるのです。

魂の子供時代には数々の我儘が許されたであろうけれども、公人として世に立つ社会人は、秩序と調和の観点から自らの我儘を律する場面が増えるのです。

当然のことながら魂の忍耐力を磨いておく必要があると言うことです。

人間であるからこそ執着は生涯に渡り関わりを持つのです。

なぜなら執着が受け持つエリアが広範囲に渡り、人間本来の幸福感にも深く入り込んで来るからである。

こうした観点から見渡せば、執着は受難を招く誘い水でもあるのです。

人間の幸福不幸を決めるものは執着との上手な付き合い方が出来るか出来ないかに掛かっている。

そのため私的時間と公的時間の使い分け(弁える精神)は自己自身で行うべき徳性であるのです。

徳性開発は社会人としての精神の基礎となり、魂を飛躍させるための精神の糧となるのです。

最も身近な問題であり、最も早く取り組まざる負えない自己自身の執着。

この魂の基礎研鑽を忌み嫌う者は、明るい未来を自力で開く精神力が気薄(軟弱)になるのであります。

 

 

 

35 霊性開示 【受難克服編】