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また執着は我が身に何かを得たいという衝動でもあるため、欲する気持ちを自らの意志で操作出来なければ、対象の執着に対して隷属的立場に陥落することが予想されます。 自分の心でありながら沸き上がる衝動を抑えられない状況が増えてくるのです。 貴方の心は貴方の意志で操作しなければならない。 人間は操り人形ではないのです。 しかし心を我欲に明け渡した人間は執着の奴隷となって、沸き上がる思い(執着)を無条件で行使しようとするのです。 自分の気持ちに素直になれるのは良いとしても、悪しき気持ちまで何ら精査しないまま、そのまま行動を起こしたなら、街は犯罪者で溢れてしまうでありましょう。 そこまで極端な予想をしなくとも行動に移さないまま心の中で燻った執着思念は、何らかの形として現象化しようと泡のようにブツブツと脅迫(衝動)してくるのであります。 執着心を抱かないことが最も良い方法ですが、残念ながら世の中には衆生の執着心を煽る情報が氾濫しています。 企業の広告宣伝などは顧客の購買意欲を高めるために、執着心を揺さぶる内容で情報を発信しているのです。 それによりて社会経済は流転していることも事実なのです。 そのため執着心を完全封鎖するためには世捨人にでもならなければ難しいというパラドックス…。 現状の社会経済に紛れて生きる為には、執着心を揺さぶられた後のリカバリー精神を高める努力が必要になります。 何事にも動じない強い意志を心に抱き、繰り返し襲い掛かる執着思念を巧みに受け流し、打たれ強い精神を磨きながら、苦難困難に戯れる境地を育んで致だきたい。 執着に囚われ拘る心には、その執着を引き寄せるような目立った的(我欲)を持ち歩いているのであります。 その我欲の的を捨てるなり姿形を変えるなりしなければ、何時までも狙い撃ちされるだけなのです。 度を越した興味関心は勇気を持って改めて行くしかない。 享楽に満ちた興味関心は他の良き趣味趣向に変換するしかない。 そのためにも自分の心に魂の声で何度も説得することになります。 徳性開発には解除力を磨く徳育がありますが、これも普段からの地道な努力の結晶である。 執着との関わりは生涯に渡って続くものであると自覚して、小さな努力精進を直ぐさま始め、コツコツと積み重ねる意志を貫くのみであります。 |