013  名誉欲

 

自我が強い者が欲しがるものは名誉名声であります。

自らの主張(我儘)を通すために後ろ盾を欲しがるのである。

しかも一つの名誉だけでは物足りず、複数の名誉名声を得なければ安心出来ないのでしょう。

つまり名誉欲の正体は魂の軟弱さ未熟さにあります。

自身の現状での魂が未熟であることを本人が知っているため、そのままでは主観を通せないことを知っているのです。

そこで何らかの肩書きを欲することになるのです。

本来は人徳があれば肩書きなど無くても人は集まってくる。

人生の導師(高徳者)は多くの衆生の拠り所となるのです。

そこに名誉名声は必要も無く、本物の高徳者であれば何時しか人から人へと知れ渡り、正しい道(人生)を求める者が集まってくるのであります。

そうした徳が未だ足りない者が私利私欲を貪る心だけ強くなると、人を引き付ける道具(称号)を欲しがるのである。

小さな子供が他の子供たちの興味関心を引くために、未だ誰も持っていない珍しい玩具を欲しがるのと同じ意味合いであるのです。

名誉(称号)と言うものは後から付いてくるものである。

誰かの幸せの為に何かのお役に立ちたいと、無心に努力精進してきた成果が実り、感謝と称賛とに後押しされて自然に寄せられる尊称が本来の称号であります。

この過程(努力精進)が無いまま結果(名誉名声)だけを付け加えても、張りぼてのメッキは早々に剥がれる運命にあります。

名誉は結果ではなく経過であり、しかも終わりのない経過である。

善意愛行には終わりがなく、永遠無限に注がれる善意愛行は魂の傾向性が限りなく創造主の愛念に近付くのです。

称号を欲しがる者は手っ取り早く結果だけを掴み取りたいと思う自我我欲者だけである。

そのため経過の無い名誉には謙虚さがありません。

称号に頼り過ぎて自身の精神が軟弱になっているのです。

そこで他者から放たれた些細な指摘でさえも激昂し、荒立った感情の波を治めることすら難しくなるのです。

悪戯に名誉名声を求める心を戒めて自己研鑽に励む貴方であれ。

人生の達人たちは称号など欲しがりません。

一流の求道者たちには、取って付けたような称号は単なる足枷に過ぎないことを熟知しているからであります。

 

 

 

35 霊性開示 【受難克服編】