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人として地上に生まれたからには個性があります。 個別の人間として自由意志を持ち無限の可能性を秘めております。 善人として生きるのも悪人として生きるのも本来は自由である。 しかし自らの意志で道を選択するからには、良かれ悪しかれ自業自得の結果を自己責任として受け止めて行かなければならないでしょう。 自己責任を果たすと言っても、現状の自分が周囲に与えている影響は何か…。 この現状把握が出来なければ正しい責任感を抱けないのである。 そうしてこの現状把握が苦手な人が現代人には多くなりました。 顔には目が二つ付いていますが、この肉眼の目は他者の責任追及に多く使われ自らの責任は顧みられない…。 自分自身の現状把握は心の瞳を用いて精査しなければ観えないものなのです。 従って自分自身の悪癖などは気が付かないまま生涯を終える人も多いのであります。 悪癖の発生原初は人間の個別化であります。 悪癖は殆どが自我から芽生えるのです。 つまり悪癖は個別化への傾倒(習慣化)である。 それを人知れず隠し持つ人は案外多いのです。 止めたくても止められない悪習慣。 避けたくても避けられない自己暗部。 何時かは勇気を持ってメスを入れて克服しなければならない。 そのためには自己自身の悪癖が何であるかを知る必要があります。 心の反省回顧を通して他者(一般的に)との違いを検証しなければならないのです。 悪癖に繋がる特異性は人知れず大奥に隠されています。 また本人にとっては唯一の避難場所にすらなっています。 辛いとき苦しいとき、遣る瀬無さや憤りの果ての行き場のない気持ちなどを晴らす待避所にもなっています。 この悪癖との長い付き合いが個人的な性癖となって重い足枷として両足に繋がれているのです。 自我悪癖を克服することが出来れば身は軽くなり心は清涼感に包まれるでしょう。 その克服前後の精神性の違いは、まるで永い眠りから覚めた爽やかな朝の如く、悪癖の日々が昔話のように懐かしく回顧される。 そうした心境を一度でも得られれば、その後の人生途上でも他の悪癖克服を自ら果たすことになるでありましょう。 |