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悪に転じた魂の習慣は歯車が逆回転をしているようなものです。 悪循環に従順となって、同じ悪事を繰り返すことが常態化するのであります。 全ての人間には慣れ親しみの機能があり、それが例え悪に靡く習慣であっても悪事に慣れ親しみ、一大事を大した事が無いような錯覚に陥らせるのです。 こうして犯罪は凶悪犯罪へとエスカレートして、正常な心が麻痺して罪の意識は薄れて行くのであります。 このような歯車の逆回転(負の連鎖)を何処かで改めなければならない。 しかし逆回転している歯車を止めるためには、精神的にも肉体的にも摩擦(苦痛)が起こるのです。 この心身ともに受けざる負えない摩擦(苦痛)を嫌って、悪意の改心を見送る人が多いはずです。 苦痛を伴うなら止められないと、公然と悪習慣を正統化するのである。 そうして益々程度の差こそあれ悪道に身を寄せるのであります。 悪への呪縛は自縄自縛である。 自分自身の精神的な甘えが悪道からの改心をさせないのである。 この呪縛を解き放つ鍵は利他心(他者への愛)であります。 正しい利他心は意固地な利己心を浄火で焼き尽くし、浄水で洗い流すのである。 神聖なる火と水は、心の甘えに喝を入れ悪習慣を淘汰するのです。 聖なる利他心は逆回転している歯車(運命=魂の傾向性)を止める際に、受けざる負えない心の苦痛を自主的に乗り越える勇気が湧いてくる。 その時に奇跡とも想えるような現実を体験するはずです。 自分の為の努力は現状の限界を越え難いが、他人の為の努力精進は自らの限界を遥かに超えて行くのであります。 するとそれまで逆回転していた歯車(悪習慣)が徐々に勢いを減じて遂に止まり、静かに見事に正回転を始めるのである。 悪習慣に身を染めてきた人間は自分を利する事ばかり考えてきたのです。 その悪思念を改めて他の誰かの幸せの為に少しでもお役に立ちたいとの善想念を心に抱けば、運命の扉は音を立てて開かれるのであります。 心の方向性が善なる方途に改まったなら、その後は努めて善事を重ねる習慣を続けるのみである。 その良き習慣付けを持続させる方法論が、新創世記の随処に書き記されている徳性開発なのであります。 |