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前章では性癖(悪癖)について語りました。 性癖を助長し脱出困難な底無し沼に引き摺り込むものが快楽であります。 本章では快楽について更に掘り下げることになります。 快楽の真正体は自己陶酔であります。 自己意識を麻痺させ朦朧として、直面する苦難困難を忘れたい衝動が意識迷妄を起こさせるのです。 その最たるものは孤独である。 人間は創造の太始から個性を与えられました。 この個性は単体での特徴があり、全体を生かす為の役割分担があります。 そのため個性化尊厳のみに意識が走ると独り善がりとなり、衆知の中に居ながら孤独を感じるようになります。 世間の冷たさ辛さは肌身に突き刺さるように染みて疎外感は増すばかり…。 こうした負のスパイラルに苛まれて、自ら自己陶酔に嵌まり込む人が多いのです。 人間には前述した通り慣れ親しみの機能があります。 この慣れ親しみは人生途上にて苦難困難を克服するために創造主から与えられた慈悲なのです。 しかしこうした慣れ親しみを魂の甘えに用いられると、自己陶酔を助長する快楽追求に走るのであります。 浅い自己陶酔に慣れ親しんだ心は更に強い刺激を求めます。 この刺激には心地よさが付き纏うため、慣れ親しむと物足りなさを感ずるのであります。 そうして人は快楽追従の下り坂を自ら走って行くのです。 下り坂は大した労力が必要なく、自重に任せば自動的に落ちて行くのです。 この自重(秘められた罪の意識)が重いほど、その重量に比例して落下速度は増して行きます。 当然のことながら魂の帰還時には悔い改めの後に、今度は下ってきた坂道を登ることになるのです。 登り坂を歩くには足腰を鍛えなければならず、その労力を嫌って大抵の人は改心(心の浄化)を自ら放棄するのであります。 そうして益々孤独の淵に嵌まり込んで行くのです。 この魂の孤独に堪えられず、心の奥底から洩れ出る悲鳴を振り払うように、更に刺激の強い快楽を求めるようになるのです。 改心(魂の帰還)に必要な精神は努力精進であります。 何も成さざる魂には努力精進の入り込む余地がありません。 ここで他力に縋る(頼る)人が多いが、エスカレーターやエレベーターは物質を運ぶ機械であり、本来の魂の向上は自力登坂(主体性)が必要不可欠であります。 |