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真理を学ぶことで生命の実相を知り、魂の本質を根幹とした人生設計を立てられるのであります。 感覚と感性の違いは霊性を開かなければ釈然とせず、物質文明の感覚のみで刺激追求を深めれば、自己陶酔の酔度数を増すことになるでしょう。 満たされぬ刺激は何時しか人間を廃人にするだけなのです。 魂の抜けたゾンビ人間は深夜の街に蠢いています。 心を麻痺させなければ遣る瀬無い思いを拭い去れないのでしょう。 昼間のストレスをアフターファイブに発散せんと、欲望の街には迷妄者予備軍が群がるのです。 宵闇が深まる毎に都会は灰色に染められて行く…。 色霊学(いろみたまがく)では灰色は八岐大蛇の幻影色で、生命の原色を濁らし歪める廃人の色合いであります。 生命の実相を曇らす思念は、欲望願望から沸いてくるアクのような存在です。 種々雑多の人間関係は複雑怪奇となりつつあるが、上手にアク抜きをしながら心的浄化を果たす必要があります。 そのためには刺激を求めて止まない不安定な心は何であるかを見い出さなければならないのです。 物足りなさを感じているものの正体が何であるかを見定めなければならないのです。 そこに隠れているものは快楽に依存する惨めな自分が居るはずであります。 その惨めな自分を直視したくないからこそ自己陶酔へと逃げ込むのであります。 何か不都合があれば自己陶酔に責任転嫁すれば良い…。 こうした情けない結論を平気で採用する人間は軽蔑に値します。 心を麻痺させなくとも素の自分で勝負できるような潔さも重要であります。 素直で明るい真人間は快楽の奴隷にはなりません。 本当の魂の心地良さが何処にあるかを知っているからである。 苦難困難を前向きに克服することに魂の喜びを観ずるのです。 数々の受難と戯れながら魂の生長を果たすためには 、苦難困難は自らの魂を鍛え育てるための精神の糧であると受け止めるべきであります。 精神を故意に曇らす快楽(刺激)追従を排して、陽の当たる場所を主体的に歩める貴方であれ…。 自己陶酔が好む道は無秩序な暗闇の中であります。 |