030  軍杯は悪習慣に上がり易い

 

人間には自由意思が許され、自発的な人生を託されています。

善を採るのも悪を採るのも本人の自由意思である。

しかしこの自由意思には自己責任が伴なうのであります。

自ら選んだ道を自分の意思で歩みながら、一つの選択肢の中で最善を尽くすことで、少しでも生長した姿で魂の故郷に里帰りするのである。

魂の生長には其れなりの苦痛が伴います。

この苦痛は自己鍛錬に於ける心的摩擦でもあります。

それは川の流れに逆らって上流へと遡上する鮭のように、止めどなく流れてくる川の流れに流されないように、泳ぐという努力を惜しまない姿に似ております。

身体が疲れたからと泳ぐことを止めてしまったなら、たちまち水圧に押されて下流に押し流されてしまいます。

鮭の遡上には産まれながらの神秘的な使命感があるのです。

その使命感を素直に体現するからこそ鮭の遡上は感動を呼び起こします。

人間の一生も鮭の遡上に似通っているのです。

創造主の慈悲慈愛に魂を里帰りさせるために、神の子の自覚を深める旅路が人生なのであります。

自発的な愛行善行は心身ともに生命エネルギーを使います。

その為に必要な労力は自己推進に要する気力そのもので、持ちうる体力精神力を行使するのです。

その努力精進に使われる気力を厭わない心が、神の子の自覚を高め深めるのであります。

何の努力もしない人は成果の少ない人生を終える…。

また自我我欲の為だけに労力を使うなら浮き沈みの激しい人生となる…。

億劫な気持ちを引き摺って生きる人は安易な選択肢ばかりを選ぶ傾向にある…。

自分の気持ちの中に甘えが多いと楽をする方向にばかり選択を重ねるのです。

こうして物事の良否判決は魂を軽んじるような悪習慣の方向に軍杯を上げるのであります。

悪意に傾く習慣は誠に深刻な問題です。

良否判決の采配が主観となると自己自身に対する甘えと迷いが見えなくなる。

審判は常に客観視でなければ正確な勝敗は判決出来ないでありましょう。

価値中立的立場に立って正しい采配が出来る客観で、自らの生活習慣を再考し熟考することが望まれるのであります。

 

 

 

35 霊性開示 【受難克服編】