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知らないと言うことが時に致命傷になることもあります。 人は知らないからこそ(知ろうとしないからこそ)その重要度を軽視して罪を重ねるのです。 これはまだ能動的に動ける者の迷い道ではありますが、深刻な問題は受動的人間の無作為である。 何も成さざることを自然の理と勘違いをして現在只今の立ち位置さえも見えなくなっている人も居るのです。 そこに自我が強まれば立ち位置も我流(自己中心)となります。 物事の判断基準が定まらず、何時しか迷妄に足を踏み入れていることに気付かないのです。 大抵の場合は原点(初心)を見失っている。 何のための…という初志を忘れ去っている。 そこに数々の迷妄(意識錯乱)が介入している事実を看破出来ず、何時の間にか自己都合(自己保存)に流されてしまうのです。 人間は心の本質を見失うと本来の生命の実相が萎縮して光明の扉が閉ざされてしまいます。 すると魑魅魍魎の思念想念が流入して恐れや迷いを誘発するのである。 迷妄道に入り込むと不安焦燥は増すばかりであり、これは単に原点が見えなくなっている状態であるのです。 更に深刻なのは迷妄道に入り込んだことに気付かない場合であり、そうした窮地を看破出来なければ強権者が悪判断を無理強いして多くの衆生を悪路に迷わせるのである。 正確な解答が見えないことから起こる問題は多いのです。 事物の表面には結果が犇いているが、大切なことは表面には見えない経過であり、更に大元にある原点(主目的)である。 恐怖観念(不安焦燥)は芯(真理)のない結果主義意識が齎すものであり、目的目標を取り戻せば正しい解決策が見通せるようになります。 心の萎縮は実相世界の閉門を招き神の子の自覚を失わせるため注意が必要です。 単に性格が弱くなるに止まらず、大切な主権(神の子の自覚)を見失うことで失楽園を招き兼ねないのです。 心が不安焦燥に取り巻かれたなら何が自身の精神内部に介入して来たのか、冷静な心の瞳で直視(現状把握)することです。 この現状把握は反省回顧の習慣が無いと難しいかも知れません。 しかし諦めず取り組めば何時かは必ず霊性が開いて 、正しい法灯(真理の智恵)が心の世界を照らすのであります。 |