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数々の不安焦燥を其のまま放置していては何処まで行っても恐怖心の奴隷である。 新たな世界に飛び出そうとしても最初から恐怖心(心配事)が現れて足止めをする…。 自分の人生でありながら不安焦燥の念に縛られて身動きが取れない状態になりがちなのです。 自らの邪まな主観が判断力を鈍らせているのなら、先ずは自我心(自我我欲)を超越することが不安焦燥の克服になるのです。 自分だけを守らんとする保身が他者への愛を忘れさせている。 我が身の欲得のみを追求する心が了見の狭さを露見させている。 自我流のみの拘り囚われが他者排撃に滑車を掛けている。 視点が常に自己自身に向かいがちな利己主義感覚は、溜め込んだ不浄な誤謬(地位・名誉・装飾・金銭…)を誰かに奪われることにも恐怖心を募らせるのです。 そのため思念は疑心暗鬼と成りやすく、必然的に心が安らげる余地が無くなるのであります。 自分の為だけに生きる人間は自己限定の殻を破れないのです。 当然の話で人間としての成長にも伸び代が見当たらなくなる。 しかし人のために生きる人間は自己限定の殻を自ら打ち破り、遥かに果てしない生長を続けるのであります。 そこには愛の想いが芽生えるからです。 愛に目覚めた人は自己限定の殻に打ちのめされている場合ではないのです。 何処かで誰がが悲痛な叫びで助けを待っている…。 たった一人で孤独の淵に堕ちかけている…。 こうした魂の同朋たちを一人でも多く助けてあげたい…。 愛に目覚め愛に生きた先人の努力精進には終わりが無かったはずです。 直面する不安焦燥などに恐怖心を抱いている暇はないのである。 そんなものは逸早く克服して本来の使命役割に邁進するのである。 貴方が何らかの使命役割を観ずる人であるのなら、目先の不安焦燥から逃げ出さず受け止めて、力士が大相撲をとるようにジリジリと恐怖心を土俵際に寄り切って、着実に不安焦燥を押し出すような横綱相撲を採るべきである。 そのためにも邪まな自我心を捨てよ。 自我利己心も自己保存欲も恐怖心に繋がった足枷であり、愛の想いを曇らせる毒酒であります。 自分の事(利得)ばかり考えているようでは不安焦燥は消える事がない。 何かに奪われるようなプライドも欲得願望も無ければ何事が起こっても冷静に対処出来るのです。 更に神の子の自覚が深まれば、悪意悪念悪霊悪魔の迷妄にも凛とした徳性で対処していくことになります。 |