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人生は山あり谷あり険路あり。 平坦な道を歩いて危なげない人生を生きるのも良いが、前人未到の道なき道を切り開きながら生きるのもまた良いものであります。 何れにしても生まれ持った環境と境遇を活かして生きるのが最も潔い人生である。 しかし苦難困難が多過ぎて溜め息ばかりが後をつく人生は、それだけで受難であると言えるのです。 個性ある人間は夫々に自我を持っている…。 自らの自我を中軸(判断基準)にして、他者との比較を通して人生の良し悪しを推し量るのが通例となっています。 人の幸せは他者との比較から始まり、また同様に人の不幸せも他者との比較から始まるのである。 不特定多数の人間が犇いて生きている地上世界では、艱難辛苦の種類も高低も深浅も様々であり、何を持って良き人生とするか、何を持って悪しき人生とするか、こうした判断は個人の了見に任されているのであります。 この個人的な了見が光に向かえばプラス思考となり光明思想となりますが、閉鎖的感覚感情で闇に向かえばマイナス思考となり暗黒思想となるのです。 ここにも心の法則は作用していて常日頃から習慣化された思考形態は、本人にとっては馴染みのある思考形態になっていて、どうしても一定方向に思考形態は向きやすいのです。 更に軌道修正(反省回顧)の習慣が無い場合は、人間の性格が悪路から善路に自主転換することは皆無であり、余程の衝撃的な痛手(大難病・大事故・大借金)にでも遭遇しない限り、なかなか軌道修正(反省回顧)の機会に巡り会えない人が多いのではないでしょうか…。 かくしてマイナス思考は暗黒思想に突入して、辿り着く先は魂の固着(生命体でありながら停止を好む)に成りがちであるのです。 人間の命は本来生き通しの生命であります。 生命の実相には終着駅が無いのです。 肉体生命には地上的観念(物理的制約)があるため限界はありますが、人間の生命は肉体を脱した後に転生輪廻を永遠に繰り成して行くのです。 意気消沈した魂の末路が消滅に向かうのではなく、意気消沈した心持ちで転生輪廻を迎えることになる。 現代は自殺願望を抱く人が多いけれども、肉体生命の終わりが全ての終わりではなく、人間の魂には来世という今世の続きがあるのです。 |