064  思念想念の真正体は魂の傾向性

 

人は肉体のみで生くるにあらず。

心ありてこそ人間として生くるなり。

行為を起こすには其れなりの思いがあり、思念想念には魂の傾向性が現れている。

性格が心の習性から現れているように、無意識に沸き上がるような思念想念は魂の傾向性が根源となっているのです。

すると感情の背後から見え隠れする思念想念は、たとえそれが去来した浮遊念であっても、似通った波長が呼び寄せ引き寄せた思念想念であるが故に、全ては魂の傾向性が本当の正体であると言い得るのです。

魂の傾向性は一日二日で固まるものではありません。

本人が同じ思いを繰り返し重ねた結果、心の中に強烈な持念(磁石)を形成したのである。

最初は面白半分に繰り返していた冗談も、何時しか其れが常態化した時に心の習性となって持念が支配するようになります。

その累積の持念に浮遊念(浮遊霊)が取り憑くのである。

イジメやセクハラ・パワハラの類いは、こうした負の連鎖から起こるのであり、魂の傾向性にまで固まった負念は、本人の心の中から当人を威嚇してイジメやセクハラ・パワハラを強要してくるのであります。

その負念(己心の魔)は更に仲間(悪意悪念悪霊悪魔)を呼び寄せながら、憑依された人間の悪事をエスカレートさせて凶悪犯罪へと誘導するのです。

その末路は力に頼る戦乱であり、個人的な腕力も総合的な兵力も扱う人間の感情不統制の前には、力量への依存であることに変わりはないのです。

人間が最も頼りにしなければならないものは神性としての精神性であります。

この精神性を無秩序のまま放置した罪を現代人は償わなければならない…。

それこそが天変地異なる世紀末を呼び込んだ主たる理由であったのです。

なぜ人間は心の世界を無秩序のまま放置したのか…。

それは普段から心に思い描いているものが、そのまま人様には見られたくない(知られたくない)内容が多いからでしょう。

外見は後から如何様にでも繕えるが、心に浮かぶ暴れ馬(感情)は徳性を高めなければ手なづけられない代物であるのです。

どうしても手綱捌きには実力の差が出てくるもので、感情という暴れ馬は時に自己自身にも深い傷跡を残すのであります。

 

 

 

35 霊性開示 【受難克服編】