|
感情が人間味を現しているということでしたが、その感情が物質世界で完結を目指せば感覚になります。 感覚は物質世界にのみ通用する地上人間の共通概念である。 この物質世界を知覚する感覚(共通概念)があるからこそ、地上に人間社会が保たれるのです。 物体の形や重さや大きさ、色合いや匂いや音感なども、共通の認識形態が尺度として存在するからこそ人間社会の営みが築かれるのであります。 つまり地上社会の根幹は感覚(共通概念)が支配しているのです。 そうしてこの共通概念を遵守することで地上世界の秩序は守られている…。 この現実(感覚)が人間を地上世界完結思想に追い遣った原因でもある。 魂の故郷である霊界を否定する者は、この感覚(地上社会の共通概念)に固執すれば誰もが立派な現実主義者となれるのです。 しかし人間の魂の故郷は霊界であります。 感覚に固執する現実主義者が霊界に帰れば、自らの固執概念に縛られて地上世界よりも窮屈な霊世界に赴くことになる。 それが地獄と言われる魂の自縄自縛世界であります。 地獄という世界を創造主が造られた訳ではなく、自由意思を与えられた個別の人間が、その身勝手な思念想念の固執によって仮に想像した精神世界が地獄である。 要するに本来は感性の世界である霊界に帰っても、地上の感覚に依存をする者が自らの心の法則(因果の理法)に従って、魂を自縄自縛する窮屈な境遇に堕ちて行くのである。 それだけ地上的感覚は霊世界では重い持念(心に抱いた思念)であると言うことです。 魂の故郷である霊界は自由自在な感性で生きられる霊世界である。 そうしてこの感性には進化の上限がなく、霊性(徳性)を高めれば高めるほど融通無碍な霊生活を送れるようになるのです。 人間にとっての感情は、感覚的意識を霊的感性へと導くためのアイテムでなければならないのです。 この感情を感覚的意識へと完結するための迷妄邪説に変えてしまったのは誰なのか…。 霊性の時代に生きる皆さんは感覚・感情・感性の相関関係を正しく把握して、それらの意識を使い分ける徳性を徐々に身に付けるべきであります。 |