068  客観的感情は感性が起点となる

 

次に客観ですが、人間にとっての客観とは相手の気持ちを正しく知るための第三者的視野に立つことを意味します。

大抵の人は客観視で相手を見ているつもりで大人びた言動をしていても、よくよく吟味すれば主観による客観視になっている。

つまり自分ならこう思う…と蚊帳の外に出ているつもりでいても、その実は未だ蚊帳の中での自己主張になっているのです。

これは本人が未だ自己限定の殻を打ち破ったことがないからで、広い世界に飛び出したと思い違いをしていた孫悟空は、よくよく自らの状況を見つめてみたなら、未だ御釈迦様の手の平の中であったと落胆するようなものであります。

本来の客観は自分の認識の枠から飛び出して、もう一人の自分(守護霊の視点)になって、自己自身を含めた他者との状況を精査する瞳に成ることなのです。

これには或る意味で宗教的な悟りが必要になります。

正しい宗教は主観による認識の枠を超越する魂修行がある。

これが無い宗教は御利益宗教に流れてしまいます。

自力・他力の振り分けは地上世界で行うのではなく、霊的世界の感性による正しい客観視でなければならない。

つまり本来の自力・他力の違いは霊性次元の違いであるからです。

自らの人生の課題を乗り越えた者が、その課題から得た尊い教訓を用いて人類救済に立ち上がる…。

この昇華した意識の遥かなる延長線上に実相世界があるのです。

現在只今の心境が如何なる段階にあろうとも、総ての生命が目指す精神世界は神の子の自覚を深める実相世界である。

正しい客観視は感性(霊性)を高めることでのみ得られるもので、学習するだけでは単なる知識の集積に他なりません。

この感性が起点となって総ての世界観を凝視したなら、今まで見ていた風景が全く違った風景に観えるのであります。

これが霊的感性を開いた者の小悟であり、正しい感性を用いれば客観的感情は物事の真髄を射抜く徳性になるのです。

本来の人間味は感性を想わせる感情昇華が齎らし、人間臭さは感覚に偏住する固執感情が齎らすのであります。

人間の霊性を高めるものも腐らすものも、日々何気無く扱っている感情の行く末に関わっている。

普段から連れ添う自分の感情を自己統制することが出来なければ、人間の魂は四つ足(獣属化)に向かうのであります。

 

 

 

35 霊性開示 【受難克服編】