080  知らないという罪の重さ…

 

物事の真相は常に奥底に隠されています。

表面に見えるような単純な答は真理の一部に過ぎません。

その一部を拾い集めて組み合わせたなら、それなりの解答は得られるでしょうが、本当の真理は表面的解釈のみでは手の届かない深まり高まり広がりがあります。

つまり本当の真理を掴むためには尽きない心の探究が必要になるのです。

未だ知らないものが沢山あるのは誰もが同じである。

知らないものを知らないままに放置すれば、何時迄も不安や恐怖と同居しなければならない。

知らないものが知るもの(深く理解するもの)となれば、その後の人生に於いて目の前の課題は単なる通過点になるのです。

どんなに難しい登山道でも正しいアプローチを知っていれば、その正規のルートを辿れば山頂に至るのであります。

途中経過に見え隠れする難所を見逃してしまうと、詰まらぬ小事で足を掬われて滑落の危険に遭遇するかも知れません。

登山計画は事前に綿密に練り上げるべきでありますが、人生の登山計画(人生設計)も事前に綿密な計画を練り上げる必要がある。

何処に向かうのか、如何なるルートを辿るのか、予想される難所は幾つあるのか、現状での自分の力量で克服出来そうなのか…。

こうした事前計画を事細かに立ててみると、現在只今の自分に未だ足りない何かが見えてくる。

その足りない何かを事前に補うことが可能になるのです。

こうした現状把握が人生の登山道にて滑落などの危険度合いを減少させるはずです。

人生には共に歩む同行者が年々増えてくるもので、一人の失態であっても多くの同行者に迷惑を掛けることになるのです。

自分一人だけの問題だからと割り切ったとしても、現実には身内を始めとして人生に関わりを持つ全ての人々に少なからず影響が及ぶのであります。

だからこそ知らない(知ろうとしない)ことが罪になるのです。

自我流を押し通して大惨事を起こす迷妄者は現代人には多いが、自らの意思で暫し自重して広範囲の現状把握を重ねる心の余裕が必要である。

迷妄者たちは自らの現状把握に敬遠癖があるのです。

知らない(知ろうとしない)という罪の重さをこそ知って致だきたい。

まさに反省回顧は王道であります。

 

 

 

35 霊性開示 【受難克服編】